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キイロイ

若手俳優と惑星アイドル

ぼくらが非情の大河をくだる時-新宿薔薇戦争- 3月16日〜20日本多劇場Aチーム

分かりやすい芝居ではないので見るたびに役者の演技もわたしの感じ方も変わって、ひとつの文章にするのは難しく、感想というよりはごちゃごちゃとした備忘録になっています。
 
 
白い公衆便所に紅い薔薇の花。こういう世界観好きな人一定数いるでしょ、分かる分かるよ、な舞台美術。そんな場面に不釣り合いな程乱暴で荒々しい言葉がいわゆる「2.5次元俳優」と呼ばれる俳優を通して投げつけられる。親切な舞台に飼いならされた「観客」のわたしはまるで喧嘩を売られているような気分で、容赦なく投げつけられる活字にどうにか立ち向かおうと躍起になっていた。
 
初見から、45年も経って時代背景も政治的思考も全く違うのに、若者たちの焦燥は変わらず共感すら覚えた。
特に父親に対する兄弟の当たりの強さ。永島敬三さんは「殺意は月夜に照らされて」で一度拝見したことがあるけれど、むしろ好感を持っていた役者さんだ。それなのに父親の台詞はすごく不快に感じた。表面上は普通に父親とコミュニケーションをとれている兄の方が「俺たちと一緒にたたかう勇気があると思うか。やつはただのうす汚れた豚だ」など見下げた発言をしているのは、自分が父親側に近づいている恐れを感じている所為だろう。わたしが父親の台詞に不快感を覚えたのもの同じだ。小さな理想も叶えられず舞台の隅に転がっているような「老いぼれ」になりたくないと思う反面、1972年の兄弟から見れば2017年のわたしはむしろ「父親」の側なのだ。その事実がわたしを苛立たせる。短く強く凶暴な言葉と暴力に変わる。兄の父親への嫌悪はそういった感じだった。
兄は弟を殺そうとしていた、それは一度は兄が理想を捨てようとしたことを意味する。それでも捨てきれず、兄は弟を追いかける。かといって、弟の方から近寄られると拒絶する。弟の理想は兄だった。突然揺らいだ理想は弟の混乱を招く。恐らくこの戯曲は、兄弟が一人の戦士として生まれ変わるための殴り合いと殺し合いを描いている。兄弟の敵は「世間」と呼ばれるものだと感じた。実体はない、でも確実に自分たちは不利な状況に追い込まれている。誰かが自分たちを外側から眺め、品定めし、笑っている。でも「世間」って、いったい誰なんだろう。戦士として生まれ変わっても、兄弟の進もうとする未来は明るいものでは決してない。
凄惨な画面とは裏腹に、ラストシーンは少年ジャンプの最終回のような、希望に満ちた爽やかなものに感じた。(これはAチーム千秋楽のアフタートークで明らかになったのだけれど、兄を演じた古谷大和の「希望があって欲しい」という思いが溢れた結果だそう)公衆便所のアンモニア臭と血飛沫と弟の屍体、そんな中に不釣り合いに輝く「希望」は、それはそれでアンビバレンスな美しさがある。それに、役者の解釈云々抜きに、そんな状況で、明るい未来など見えないに関わらず、前に進み戦うことを最善として選択した「本」に羨ましさを感じるのだ。だってわたしは蹴っ飛ばされて転がる「父親」だから。
 
千秋楽、詩人が鮮血を浴び「とっとと失せろ!」と便器に突っ伏すシーン、詩人役の神永圭佑くんが本を破り捨てた時、わたしの心臓は一気に加速した。わたしは興奮していた。2017年の若者が、1972年の言葉を超えた瞬間を目撃したから。

「あんさんぶるスターズ On Stage Take your marks!」2017年1月11日マチネ

演劇を見たいわたしとキャラクターに会いたいわたしが存在して、相反する感情が渦巻いている。
 演劇としては、この内容でよく2時間半保たせたなぁと。もともとあんスタ自体が好きなわたしとしては、メインストーリー4章、5章の芸能界や大人になることへの闇に目を向けた物語はとても好きだった(日日日先生作品の特徴なのか、若干モノローグが諄いと感じるけれど。)あんスタという作品の根幹にいる「転校生」という存在をストーリーから概念ごと削除しているのでそのまま上演出来るとは思わないが、起承転結で作られたもともとのストーリーがあるのだからそれなりの物語にはなるはずだと思う。
もちろん良い場面はたくさんある。特にスバルが北斗を呼び止めるために言葉を荒げる場面はとても好きだし、ステでも小澤廉くんと山本一慶の熱演が涙を誘っていた。しかし原作場面の再現があれば良いわけではない。どんなに良い芝居をしても物語を「起」「承」までしか上演せずに舞台の幕が閉じてしまっては舞台演劇として成り立っているとは思えない。せっかく良い場面だったのに、その芝居はこの演劇の中で何の意味もないものになってしまうように思えて残念だった。
メインストーリーの内容はほぼ1幕で終わってしまって、2幕はオリジナル(というほど練られていない)シーンと不自然に入れられたライブシーン。防音練習室で旧トリスタメンバーが入ったユニットの練習が行われて、正規メンバーが旧トリスタに「見学してろ」と言ってからのライブという流れが2度もあって流石に芸がなさ過ぎると思った。だいたい、ライブ練習に向かってどういうスタンスでどんな顔してうちわやサイリウムを振ればいいのだろう…
なまじ集客が見込めるせいで、舞台化する際に必須であるはずの物語世界の「再構築」という作業をおざなりにしているように思えた。残念。
キャラクターに関しては、初演組は安定していたし、今回はユニット単位で出演しているのでそれぞれの個性が色濃く出ていて良かった。
流星隊は前説からわちゃわちゃ感が楽しい。ストーリーに絡むようで全く関係のない立ち位置なのでとっても能天気。5人とも自由に動けるキャラクターのせいで色々なとこでごちゃごちゃやっているのも賑やか。これでそれぞれが慣れてきてもっと自由に動くようになったら騒がしいだろうなぁと今後が楽しみになった。今回1番のびのび演じていたのは仙石忍役の深澤大河くん。特に翠くんを励ましたり端でこそこそ動いているのが可愛かった。
fineは顔面偏差値が高い。特に英智役の前山くんは登場シーンだけで皇帝陛下だ…と分かるオーラがあった。綺麗なお顔で優しく微笑んで立ち姿も美しい。声は澄んでいて綺麗。何よりその無邪気さと滲む毒々しさ。正直今までゲームの立ち絵だけではここまで英智さまの魅力を感じ取ることはできなかった。fineの中でも群を抜いているこの天祥院英智に対抗できるのは、やはり小澤廉が演じる明星スバルだけかもしれない。
我らが赤澤遼太郎演じる大神晃牙。初演はかなり贔屓目で見ても褒めきれない演技だったけれど、さすが成長目覚ましい。とくに遊木真に嬉しそうに声をかける姿は晃牙くんの可愛さが爆発していた。ゲームの晃牙くんは喧嘩っ早さと内に秘める優しさという印象が強いけれど、赤澤遼太郎の晃牙くんはひたすら素直でかなりお馬鹿な仔犬といったところ。
前作に引き続き山中兄弟のひなたゆうたや樋口裕太くん演じる神崎も、ゲームの印象と少しくらい外れても、それ以上のキャラクターの魅力を生み出していた。2次元のキャラクターが3次元に、張りぼてではなくきちんと肉を持って立ち上がった感じがしてわたしは好きだ。

回数を重ねるごとに、役者の作るキャラクターは魅力を増す。その魅力を、物語の中で存分に堪能させて欲しい。ストーリーをライブのおまけにしないで、彼らの生き様を見届けさせて欲しい。
好きだから、わたしはまだ少しだけ次回作に期待と希望を持って待っていようと思います。

2016年12月15日マチネ「パタリロ!」紀伊國屋ホール

開演前客席に流れる昭和の代表的な音楽。回るミラーボールにカラフルな照明。わたしは昭和の時代を知らないが、チカチカと明るく浮き足立った雰囲気が普段は重厚な紀伊國屋ホールに広がっている違和感。幕が開いて連れていかれたのは古き良きなんでもありな昭和世界だった。平成の観客に向けた昭和を生きたキャラクターからの発言に何が始まってしまうのかすでに付いていけないまま始まったM1は、まさかの「花とゆめ」「白泉社」讃歌。ここはどこだ、とか、きっとそんなこと考えてはいけない舞台だったのだ!
加藤諒さん演じるパタリロは奇跡的な三頭身の潰れあんぱん。こんな人間本当に居たんだ…と不思議生物を見る感覚は、きっとそのままパタリロと出会った多くのキャラクターたちの感覚だ。
彼を囲むタマネギ部隊が可愛い。コミカルな動きに「タマタマ」という鳴き声(?)はしゃぐ姿に踊る姿。個を持たないゆるキャラのよう。メーキャップをオフした素顔は美少年のはずだが、美少年というよりおもしろお兄さんだった。注目は石田隼くん。1番小さくて1番よく動くタマネギ。ひし形の口がよく似合っていた。
いわゆるアンサンブルの魔夜メンズも無視されず、フューチャーした場面があるのは新鮮だった。彼らがありとあらゆる役になるおかげで舞台上はいつもガヤガヤしている。カーテンコールで出演者が並んだ時、これしかいなかったんだ…と驚いたほどの存在感で舞台を盛り上げていた。
印象的だったのは青木玄徳さん演じるバンコラン。細長い手脚に小さくて端正に整った顔、そして何より声と話し方がバンコランそのものだった。あの渋い声だからこそ、パタリロとのちょっとしたセリフのやり取りやマライヒにお熱な様子がおもしろい。佐奈宏紀くん演じるマライヒは可愛らしい顔立ちながらも全体的にやや大きい。ただ本当に見た目が綺麗な2人なので絡みシーンは絵になる。歌う2人を見ながら、わたしは昭和の時代に「花とゆめ」を開く女生徒になった気分だった。BLがジャンルとして確立する前。期待に胸を膨らませながら漫画誌を開き、バンコランとマライヒのキスシーンに今まで感じたことのない胸のときめきを覚える。劇場を埋めるのは、年代はばらばらでも、教室の隅でクックロビン音頭を踊っているようないつかの女生徒たちだった。
そのクックロビン音頭、いつ出るかいつ出るかと思っていたのだがなかなか登場しない。クックロビン音頭が入りそうな場面で流れるのは「ダンシングなまはげボーイ」。どの曲もなんだかクセになるのでプレイヤーを買っておけばよかった。そして物語のクライマックス、バンコランの窮地。物語にどっぷり浸かってハラハラしていたところに、パタリロがタマネギを率いて登場。「パパンがパン」え?!「だーれが殺した、クックロビン」ここで?!深刻な顔をしていたバンコランやマライヒまで踊り出す。パタリロとタマネギは客席に降りてきてしまう始末。私は思い出す。そうだ、この舞台では考えるなんて無意味だった…
技術を競いあうような2.5次元演劇で、小道具がちょいちょいハリボテなのがチープでかわいい。バンコランの目力はレーザーポインターを使った物理攻撃だった。ラストを飾る曲は2018年春に決まった新作公演の予告。前代未聞だ。この舞台、結局内容なんて無いに等しい。それでも劇場中で悪ふざけをするような楽しさが充満していた。私は2018年春までに「ポーの一族」と「ガラスの仮面」(ネタが多少わかるくらいには)を読んでおくことを誓って、昭和の世界を後にしたのだった。

「おそ松さん」on STAGE SIX MEN'S SHOW TIME 10月19日マチネ

短編のシチュエーションコメディが何編も並んだコント集のような見やすい作りで、とても楽しい舞台だった。公演始まってしばらくしても松ステで検索してもネタバレっぽいの踏まなかった理由は観劇して初めて分かった。内容は?と聞かれても答えられるような内容が無い…おそ松さんだからこそ、内容が無くても見ごたえは十分な楽しい作品になったのかな。
メディアミックスとして2.5次元舞台化する最近のトレンドなのだろう。背景、BGM、効果音などアニメの世界をそのまま持ってきている。しかしコントの作りはいたって舞台的で、そこが舞台としておもしろいポイントだったように思える。例えば暗転を使ったオチ、トト子ちゃんがグラスを割る音に合わせてひたすら出たり捌けたりするイヤミ。最初のコントと最後のコントが繋がって、2時間見たなという達成感と寂しさを感じさせる演出。見ている間は大笑いしているのに次の瞬間には忘れてしまうようなおそ松さんらしいくだらない話が続いて、最初の1時間でもうすでに笑い疲れてしまった。実写舞台なので日常系の話が多くなるかと思っていたが、大爆発オチや宇宙など破天荒さやナンセンスさは健在。エンディングは6子もF6が一緒に挨拶をして、舞台ならではの特別な世界に感動した。同時に世界はなんと残酷なんだ...とも思った。

2.5次元舞台は様々な場面に適用できるようにだだっ広い舞台を上下に分けただけというような作りも多い。その中で松ステはかなり凝った舞台美術だった。舞台上が簡素だと役者の演技力によってはただただ広くて白いステージ上にキャラクターがぽつんと置かれているような寂しい風景にもなってしまうが、松ステはそれを感じさせない。おそ松さんを象徴する松野家がステージ中央に存在し、片面は松野家の内装、片面は凡庸性の高い真っ白な壁。この真っ白な片面がすごい。プロジェクションマッピングによって様々な場面に対応する。使用されているのはアニメをそのまま持ってきたような背景だが、これが実写のキャラクターと絶妙にマッチしていたのは「おそ松さん」という作品だったからかもしれない。松野家は6子が大半の時間を過ごす部屋と居間。かなり小さめの作りで6人がぎゅっと詰まっている様子はそれだけで可愛かった。アニメ画面を見ているようなごちゃごちゃ感。衣装などキャラクターを作ることに重点を置く2.5次元舞台は多いけど、舞台セットも含め作りこんでくれると満足度は跳ね上がるなと感じた。

キャラクターはどの役者さんもアニメの声優さんの演技の癖や声質にできる限り似せてきていた。漫画原作なら声優さんの演技はキャラクター解釈の一つしでしかないけれど、アニメ原作だと声優さんの演技も含めてそのキャラクター。キャラクターのクオリティを上げる為に声まで似せる必要があるなんて俳優さんも大変だな…と妙な感心をしていた。
特に印象に残ったのは高崎翔太くん演じるおそ松(6子)。「お兄ちゃんびっくりだよ〜」などと自分のことを「お兄ちゃん」と自称するセリフが天下一品だった。うまく言えないけれど、お兄ちゃんという立場を利用して弟に甘えている感じ...ツッコミはチョロ松の全否定と対照的になんだかやんわりで、「長男だから弟たちに優しい」と「ただテキトーなだけ」の間を進むような絶妙な力加減だった。おそ松兄さん好きになってしまう。そして高崎くんの演技力はいつも多少のビジュアルの違いを凌駕してしまう…すごい…
わたしのキャラ推しは十四松なので気になっていた小澤廉くん。前回わたしが見たあんステの明星スバルをも超えるハイパー宇宙人な十四松。この言葉が褒め言葉になるのかわからないけれど、「違和感が無い」。成人男性で十四松演じられる人類存在した。MAXテンションで意味不明な動きを意味不明に行う。急にテンションを下げるところも「人間出してきた」ではなく「十四松」なまま。推しキャラにも関わらず十四松のことになると「十四松と概念」くらい迷宮入りしてしまうのだが、小澤くんの十四松も相変わらず迷宮入りで理解不能だ。語ろうと思っても分からないくらい十四松だった。そして顔が可愛い。アニメはブサ可愛くらいのイメージで見ていたので、ものすごく顔が可愛い。顔が、可愛い。顔が... ただアニメより性欲の強さがクローズアップされてた印象。十四松だけでなく6子はやたら「彼女欲しい」「やりたい」と言っていた。舞台の客層(20〜30代女子)を意識してかな?
今回も目当ては赤澤遼太郎くん。あざトッティー意識でいつもと声やしゃべり方が全く違い最初は驚いてしまった。動きもいちいち可愛いを意識していてあざとい。女の子もドジっ子も率先してやる。アニメのトド松は末弟ながらも(もっと意味不明な弟が多いので)一人の成人男性として兄たちと対等の立ち位置にいる印象だったが、赤澤くんのトド松はかなり愛され弟キャラだった。兄さんたちへ見せるドライモンスターぶりも兄たちに甘えている証拠という風に見える。赤澤トド松の兄たちは赤澤トド松がドライモンスターを発揮するたびに「お兄ちゃんはこんなにトド松を愛してるのに〜」と泣くのだろうなと思うような愛されっぷりだった。個人的に今まで「馬鹿」「犬」みたいな役を見ることが多かったので、また違った赤澤くんの演技を見られて良かった。もっと出来ないかと心配していたが、2.5ベテランな兄たちに十分食らいついていた。おそ松とトド松の会話劇は一生見てたいテンポの良さ、可愛さ、愛おしさ。
ビジュアルでは一番期待値が低かった(ごめんなさい)柏木祐介くんも、カラ松がそのまま飛び出してきたようだった。無視されても払いのけられても崩さないキメ顔、ポージング、短パンの圧倒的似合わなさ。観劇後しばらく連れが持っていたカラぬいが柏木くんにしか見えなかった...

客降りもライブシーンも、やたらめったらという感じではないのでちょうど良い。2部構成のライブ付き舞台に慣れているので芝居中にちょこちょこライブがあると慌ただしく感じるが、今回はペンライトが必要なライブが F6の登場とエンディングだけだったので芝居は落ち着いて見ていられた。F6登場シーンは分けわからないことを分けわからないまま押し切る強引さが、6子コントとはまた違っておもしろかった。

またやるなら今度は6子銭湯シーンも入れて欲しいです。F6カラ松はやたら脱いでたけど。

おわり。

インスピッ!!第四回公演『BGにつぐ!』9月7日・9日・11日16時

とても気持ちの良いコメディ作品だった。
主人公のショウゴが宝クジで100万円を当ててから、和気藹々に見えた劇団員の様子がおかしくなる。常に頭をよぎるのは「お金は人を変えてしまう」というオーナーの一言。ショーゴの視線で見る前半は、挙動不審な劇団員に不信感を募らせ、いつの間にかショウゴと一緒に劇団員を警戒し疑っていた。その怪しい雰囲気は2015年1月の『CHaCK-UP狙われた惑星』を思い出す。そういえばあの舞台も初日、ショーゴ役古谷大和くんにそっくりな天宮王成と一緒に仲間であるはずのCHaCK-UPを怖がっていたりしたな…
しかし物語中盤、座長の「俺は今1000万円持っている」というナレーションで舞台は一変する。いや、反転する。この場面転換時の機械音なBGMとそれに合わせた機械的な動きがかっこよくって楽しい。見えないはずの姿を魅せる、舞台らしくて単純に好きだぁ!と思った。反転した舞台上で同じ場面がもう一度繰り返される、今度は劇団員たちの視線で。挙動不審だった劇団員のその"ワケ"が明かされた時、必要以上に警戒し怖がるショウゴがかえって滑稽に見えた。同じ場面なのに見え方が違うだけでこんなに可笑しい。いつの間にかショウゴに感情移入して犯人探しをしてしまったことが、まんまと作・演出の亀田真二郎さんの術中にハマったようで悔しいくらいだ。ちょっとした台詞が伏線で、それが解けた時の気持ち良さ。シリアスなシーンが突然ぶち壊されることもおもしろい。
古谷大和くん演じるショウゴはあまりに人間的で、単純馬鹿過ぎるけど聖人君主でもなく、良い意味で分かりやすいキャラだった。日に日に激しくなる顔面崩壊。終いには怒っているのにどこか情けない動物のようで可笑しい。怯える古谷大和くんがその顔立ちからは想像できないほど可愛くなってしまうことを分かってる亀田真二郎さん絶対古谷大和のこと好きだろって100回くらい思った。小磯一斉さん演じる寅川さんは存在がギャグみたいなサトシくんに対して至って本気で対応しているのが可笑しい。サトシくんはすっごい真面目な顔しといて「ごめんなさい、聞いてませんでした。」とか言うせいで、後半台詞なく真面目な顔してるのも聞いてないんだろうな〜と立ってるだけで可笑しかった。弁護士の尾山さんとミーたんやっくんのバカップルは実際には見たことないけどこういう人たちめっちゃいそう!!!!と一周回って感動してた。座長は物語終盤になればなるほど鼻が真っ赤になっていくのが印象的だった。ショウゴは汗ダクで肩のあたりが黄ばんできてたし、そういうとこまで見えちゃうのも、小さい劇場ならではのリアリティーなのかなって思った。
コメディ作品を見ることも少なくないけれど、BGにつぐ!は今までにない戦略的な笑いで、観劇後気持ち良さと悔しさが押し寄せた。5億円の行方とか、少しだけ余白を残してくれるとこも好き。

毎公演後のチェキ会も本当にありがとうございましたって気持ちとお疲れさまでしたって気持ちと。サインをつけてくれる日も一人ずつ丁寧に対応していて公演時間分くらい時間かかってんじゃないかって思った。わたしの今の一推しはそういった機会にあまり恵まれないので、お行儀よくしてるからせめてお見送りだけでもしてくれればもっと頑張ってチケット買って通うよって蛇足。

「朗読ミュージカル『あやかしの巻』」8月15日昼公演と夜公演

まず最初に、わたしは朗読劇というものを過去一度しか見たことがなくて、そもそも作り手の前提にある「朗読劇」の本来の形というものがいまいち分かっていない。今回は「朗読ミュージカル」だった。朗読劇をたくさん見てきた人だったら目新しさがあるのかもしれないけれど、わたしは「SEが入ってなんかradio dramaみたいだなぁ」という陳腐な感想が真っ先に浮かんだ。朗読する本は元々が活字のみで楽しむお話であるので、情景描写はかなり細かくされる。そういった効果音的なものも声の芝居で魅せるのが朗読劇ではないのか?と一瞬思ったけど、読み聞かせではないのだからその必要はないのかもしれない。そんなSE、慣れてくるとその驚くほど多彩な音はたくさんの、時に見慣れない楽器から出ていることが分かって釘付けになってしまった。バンドが舞台上にずっといる(本当にずぅっといる)生演奏ならではの面白さ。
其の壱「青行燈の愉悦」。よくある学校の怪談に、新米教師の勇気みたいなエッセンスを入れて良い話風にしましたよ、みたいな、なんか小学校の国語の教科書にでも載ってそうなお話。青行燈が突然歌い出した時、新米教師役の石渡くんが「歌うの?!」とツッコミを入れたのは、「歌う」という行為に自己言及する某ミュに慣れたわたしには親しみやすいミュージカルの世界観だった(そもそもミュージカルであることをすっかり忘れてたので状況を理解するのにめちゃくちゃ時間かかったけど)。また、朗読劇の中でも「歌う」という行為には「不自然さ」があるために、一つ目のお話で観客を世界観に慣れさせるためのセルフツッコミを入れたのかもしれない。新米教師役の石渡くんはスーツ姿、他のキャストは妖怪役もやるせいか(やらなかったりもするし天井に張り付く血まみれの女は幽霊だと思うけど)浴衣姿。このビジュアルというものがなかなかやっかいで、この時青行燈役の方は別に顔はそこそこもいけてない若くもない男の姿だったけれど、きちんと赤いカラコンをつけていた。これが後々尾をひくことに。高校三年生です!ハイキュー出ます!という期待の(?)新人廣野凌太くんは傘の妖怪をやっている時の顔と声が可愛かった。お目目ぱちくりでもキリッとでもないけれど鼻筋が通ってて涙袋がぷっくりってのは今流行りのお顔なのかなとか、それとも単にわたしの好みなだけなのかなとか思った。
其の弐「透明猫」。これは猫や人が透明になった理由が科学的なものだったので妖怪のお話じゃなくって感染症とかパンデミックとかそういう類のお話だと思う。少年役の古谷大和くんは驚いたり落ち込んだり目を輝かせたり多彩な表情が魅力的だった。あと、「これはまったく驚いた」という古風な言い回しが個人的にツボ。台詞回しや単語で時代を読み取るべきなのだけれど、大和くんが猫(?)の描かれたTシャツにチェックのシャツという現代風な衣装だったため時代背景を読み取るのに時間がかかってしまった。石渡くんがスーツだったのだから、いっそ学生服でも着てくれれば良かったのにと思うけれど、朗読劇においてビジュアルというのはどれくらい重視されるものなのだろうか。ビジュアルについては残念ながら最後まで尾をひくことに。お話の最後「猫が消えた、にゃぁご」という不思議な曲と、その曲の最後に意味深に笑う谷くんはダークな世界観でとても良かった。ただお話全体やロクさんのキャラがなかなかチープで、そのダークさがとってつけたようになっていたのが残念。
其の参はバラダン・バロンによるなんだか陽気な音楽の時間。
其の四はイケメンたち()によるなんとも企画倒れなクイズの時間。
其の五「市村座奈落燈」。これは主人公が役者で、メタ的な要素を感じて面白いと思った。劇場入って俳優のブロマイドをいっぱい買ってさっきまでその俳優のクイズ大会(?)を見てた私たちに、命を燃やして芸に生きた男の話を見せるの、おもしろいでしょう?? という余計な話は置いといて、今尚この男を基にしたお話が上演されているという現代への繋がりが面白くて、3本の話の中では一番見応えがあった。この時も1行しかセリフのない大部屋役者とは思えない霜月さんのビジュアルに驚いたけれど、小磯一斉さんはだんだん白髪の老爺に見えてきたので、朗読劇は私たちや制作側が思っている以上に難しいものなのかもしれない。

今回は残念ながら選出された演目があまりわたしの好みでなかったけれど、EDのように歌われる曲はお話の世界観に合ったキャッチーなもので、朗読ミュージカルもなかなかおもしろいかもと思った。それと同時に、前回の「RO-DOKU音戯草子KOIBUMI」や今回の「朗読ミュージカルあやかしの巻」で見られた若い演出家の方々が試行錯誤して革新を与えようとしている「朗読劇」本来の形について、少し勉強してみても良いかもとも思った。
もし次があるなら、ようかいじゃなくってもいいけど、音楽はバラダン・バロンが良いです。朗読劇じゃなくって、演劇でも良いです。

「ミュージカル『テニスの王子様』青学vs氷帝」7月14日(初日)

青学8代目の卒業公演。覚悟と闘志を胸に秘め舞台に立つ青学は、M1でその姿を見るだけで強さを感じさせた。っていうか初日の段階では不二と菊丸だけで氷帝テニス部200人壊滅させられそうなほど青8は強くなってた...ひとつひとつ感想を書いていくつもりはないので思いついたことをつらつらと。
まずオープニングの山吹。ラッキー千石のメロディに合わせて山吹のメンバーが順に登場、最後に千石が出てきて「オープニングは俺ってクジで決まったでしょ?!」とか、「いつ見てもこの景色は最高だな。激かわいい女の子がいっぱいだ」とか、「スタート!」という合図(以上セリフは全てうろ覚え)とか、関東大会の始まりというよりはテニミュの始まりを告げる前座のような役割。次元で言ったら、このシーンの山吹はまだ観客と同じ次元にいた。
新曲は確かに多かったけど、内容自体に新鮮さは皆無で基本1st2ndの繰り返しという感じ。3rdの山吹公演あたりから「これ前にも観た」という感想が真っ先に来てしまうようになってしまってとても残念だなと思う。その中で新鮮さを醸し出してたのが跡部景吾役の三浦宏規くん。今までの跡部様はずっと大人っぽいかっこよさや色気が重視されていたのに対し、三浦くんは「坊っちゃま」というところが強調された感じ。舞台上のビジュアルは OVA氷帝入学時跡部様に見える。大人っぽさは無いけれど三浦くん自身のパーソナリティであるバレエの動きで品の良さが表現されていた。新氷帝校歌には跡部様のソロダンスシーン(バレエ風味)があって、こうやってキャストの特技が生かされるのはテニミュらしくて個人的にはとても好き。「俺様の美技に酔いな」というセリフの後に来る跡部様のソロ曲も1st2ndは「跡部様による跡部様の為の跡部様賛歌」のイメージだったけれど、今回は「対手塚」が強調されていたように思えた。後は「恥ずかC〜」の「C〜」の発音低めなジロー。これだけで今まで蔓延っていた「あざと可愛さ」がこんなになくなるんだぁと感動した。逆に滝は歌い方、セリフ、所作、ついでに顔、どれをとっても2nd滝のそのまんまで、もう少し他のアプローチもあったんじゃないかと心配になる。個人的に注目してた忍足侑士役の井阪郁巳くんは、細めでスタイル抜群なビジュアルはほぼ満点だった。歌は上手だけど関西弁は不自然。
氷帝戦の裏テーマは「ダブルス」だと思っている。ゴールデンペアは皮肉なことにその形が一度崩れることで存在感を増す。菊丸役の本田礼生くんと大石役の石田隼くんは丁寧にゴールデンペアを作ってきたのだろうなと感じるダブルスとしての存在感を一度ダブルスでなくなってしまうこの公演で強く感じた。この二人はプライベートの距離感が自然で、関係性作りも役作りの一環、プロとしてゴールデンペアに丁寧に向き合ってる印象でとても好感が持てる。礼生くんの菊丸はキャピキャピした可愛さも魅力の一つだけど、今回は先輩として試合中は特に封印していた様子。桃城役の眞嶋秀斗くんも後輩らしさと、突然ゴールデンペアの間に入ってしまう良い違和感があった。新曲が売りになるような今の流れで「夢をつなげ」と「三人でダブルス」が1stシーズンから変わっていないことも素敵だなと思う。もう一つのダブルスは新曲のダブルス賛歌が入っていた。長い時間で関係性を作ってきた宍戸・鳳と新造でお互いの利益のためにダブルスを組む乾・海堂の対比が見所なので、2組が同じダブルス賛歌を歌うのは違和感があったけれど…
リョーマvs日吉は相変わらず「あいつこそがテニスの王子様」、リョーマのソロパートは新曲になっていた。うろ覚えなのだが歌詞の中に「テニスを始めたわけもわからずラケットを振っていたあの日からベストテンションだった。初めてコートに立った時緊張したけど嬉しかった」というニュアンスの言葉。まるで天衣無縫時のような歌詞。この氷帝戦の他のリョーマでは歌えないし歌わせなかっただろう。この曲を最後に歌って卒業していく古田一紀だからこそ意味が生まれる歌詞だった。こういう形でキャストとキャラが重なるのは他の2.5次元舞台ではできない、テニミュならではの作り方で、これがテニミュの面白さだと思う。青学バラードも楽しみにしていたのだがそういえば青学バラードが追加されるのは大阪公演からだった。すっかりバラードが来ると思っていたので「tomorrow for you and I」を歌ったのには驚いた。2ndシーズンであの曲は、青学6代目が氷帝の後六角、立海と公演を重ねるからこそ、そこに一緒にいることのできない手塚との絆を再確認して忘れさせない為の曲だと思っていたので、全員が卒業してしまう青学8代目に歌わせるとは思わなかった。
この氷帝戦は卒業公演で、確かに青学8代目は強くなっていた。けれど余計な気負いは感じず、座長もいつも通り飄々としていた。彼らはこの氷帝戦が最後であることを最初から分かっていて、ここに向けてひとつひとつ積み重ねてきたようにも感じる。千秋楽、どんな姿で卒業していくのかとても楽しみ。