キイロイ

ホシノつくヒト

導いてくれたのはいつだって、目の前に「存在」してるアイドルだった

大人の「ごっこ遊び」を、出演者の皆様と共にお楽しみいただけますと幸いです。

 
この文章を見たとき、わたしは、なんて素敵なのだろうと思ったのです。大人のごっこ遊び。
わたしが見つけたアイドルは彼らの1つ次の世代でしたが、こんな素敵な遊びを見つけた自分を、少し誇らしく思ったのです。
 
 
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アイドルステージって、2次元とか2.5次元とか、そんなただ流行ってるだけの言葉で片つけられてしまうような陳腐な作品だったっけ?
わたしが今までその小さな箱の中で見てきた出来事は、別世界かもしれないけれど、紛れも無い"現実"だった。喜んだりはしゃいだり笑ったりしたし、泣いたり苦しかったりもした。
だって、目の前のアイドルは呼吸をするし汗もかく。
 
アンプラネットに選ばれた彼らについては残念ながらまだ描かれていないけれど、CHaCK-UPもプレゼント♦︎5も、中の男の子たちはみんな"欠点"を抱えて、世界から少しはみ出していた。
それぞれが持っている雰囲気、ちょっとした「ほころび」を、大袈裟に描いてみせる。
そして、アイドルステージの物語はそれを矯正したりしない。世界の方をぐるっと変えてしまうのだ。
ほころびだらけのアイドルを丸ごと受け入れる優しいアナザーワールドは、きっとそこから出来上がった。
新曲はそんなに上手に歌えない。
振りを間違えて一瞬険しい顔をみせる。
MCを重ねる度にアイドルのキャラは何故か「お友達」に寄っていって、最初は無かった設定を公式で追加せざるを得なくなる。
生だからこそ伝わる癖や雰囲気、隠しきれない緊張や圧倒的な成長。
わたしは彼らの「ほころび」ごと愛おしく思う。
 
 
明らかに流行りに乗ってやろうと分かるようなオタクっぽい絵の中に彼らを閉じ込めてしまうことは、愛おしい彼らを殺してしまうことだ。
どうしてそんなことになってしまったんだろう。
アイドルの「お友達」の中にも、2.5次元で活躍する役者が増えてきた。「お友達」がメジャータイトルに出て名前が売れることで、アイドルステージを取り扱うコンテンツが圧倒的に増えるというのは、前回のミュージカライブで実感した。
ドルステ人口が増えたらいいな、と言いながらも、この明らかに人を選ぶ遊びの楽しみ方を見つけた選民意識はいつもわたしの中にある。(みんなそうだと思ってるけど、わたしだけなのかなぁ)
 
アイドルステージの物語はいつまでも、「はみ出してしまったわたしたち」に優しい世界であって欲しい。
 

ミュージカライブ『アンプラネット-ボクの名は-』6/8-6/18 @紀伊國屋ホール

ポミィのこと、アンプラネットのこと、いろいろなもやもやを残して終わった去年の5月の舞台『アンプラネット』。きっといつかこのもやもやを亀田さんが晴らしてくれる!と信じて1年、ミュージカライブ『アンプラネット-ボクの名は-』が始まった。

 
本来は「知らない」はずの昨年5月の舞台『アンプラネット』ですが、今回その補完がされているので、5月の舞台の内容にも触れながら感想を書いていきます。もし観ていない方がいらしたらDVDを買ってください。あと良かったらミュージカル『CHaCK-UP episode.0』も買ってください!秋葉原アニメイトガールズステーションなどで購入可能です。
 
ちょっとしたあらすじ
離れ離れになってしまった姉さんを探す海王星人のセシィ、エリィ、マーニィ、そして別行動のサティ。姉さんが眠っている宝石「キセキノカケラ」を追って、銀河アイドル選手権の会場に辿り着いた。一方その頃、宝石の運び屋の仕事をしていた便利屋ポミィ。彼の運ぶ宝石こそが大会の報酬、そして海王星人の姉さんが眠る「キセキノカケラ」だった。宝石を取り出して戯れていたポミィに、宝石の中で眠っていたポムリアの魂が乗り移る。
ポミィの身体に憑依したポムリアはヴィーを巻き込んで銀河アイドル選手権に出場することになった。男の身体でアイドルをする姉さんの姿に驚く弟たち。姉さんと再会はしたものの、宝石に戻るのは嫌だと言われてしまう。どうしても姉さんを宝石の中に帰したい弟たちの説得に、ポムリアは条件付きで宝石へ帰ることを約束する。それは、セシィ、エリィ、マーニィ3人がこの銀河アイドル選手権で優勝すること。
3人は、アイドルを目指しながらもなかなか芽が出ないローザ率いる「RABP」のメンバーであるペポ、アビス、ブランの身体に憑依。ポムリアとヴィーのユニット「ダブルワーク」や1000年に1人の逸材と言われるルカルカといったライバル達に挑み優勝を目指すこととなった…
 
 
 
オープニングは海王星人のセシィ、エリィ、マーニィがばらばらになってしまった仲間や姉さんを探しているという歌詞が盛り込まれた曲。
アンプラネットが海王星人であるということは、舞台『アンプラネット』上演当時ビジューの間でまことしやかに囁かれていた。
5月の舞台で不器用に、でも必死に仲間を取り戻そうとしていたアンプラネットの切実さや切なさがこの1曲に詰め込まれ、初っ端から大号泣させられた。
しかし、続く2曲目から雰囲気はガラリと変わり、それどころか後々姉さんともあっさり再会してしまう。ローザと共に歌い、踊ることでいつの間にかアンプラネットの目的は姉さんを取り戻すことだけでなく、銀河アイドル選手権で優勝することへと変化していく。
舞台『アンプラネット』では彼らアンプラネットにとって「アイドル」は仲間を見つけるための手段でしかなかった。
でもドルステのアイドルには、アイドルを夢見て、アイドルであることに誇りと楽しさを感じて、アイドルであり続けて欲しい。それぞれ紆余曲折あれど歴代ドルステアイドル達がそうやって「アイドル」という存在を信じ続けてくれたから、私たちはこの夢のアナザーワールドの中で何も疑うことなく安心してアイドルのファンを続けることができる。
アイドルが目的でしかなかったアンプラネットの主演舞台だからこそ、このミュージカライブはアイドルが主軸だったのだろう。
大会の最後に歌った曲にこういう歌詞があった。
「アイドルはみんなの憧れ 憧れられたら嬉しい 君がいてよかった」
それは本当に儚い夢かもしれないけど、大好きなアイドルにそんなこと歌われたら一生ついて行くしかない!キラキラの笑顔が涙で霞んで、この世のものとは思えない輝きがわたしの目の前に広がった。
 
物語の主人公は便利屋ポミィ。登場するとミュージカルが始まった!と感動するくらいの圧倒的な歌唱力、表現力。
登場曲は2015年に上演されたミュージカル『CHaCK-UP episode.0』(以下エピゼロ)のポミィの登場を彷彿とさせるダンス、相変わらずお金がすべてという歌詞。でも彼の仕事着のポケットにはあの日天王星の皇子から受け取った前払いの「報酬」がきちんと入っている。
続く掃除屋ヴィーの登場もエピゼロを何度も観た者には懐かしい。
そしてヴィーから、ここで銀河アイドル選手権がある事を知らされたポミィが歌う、彼がかつて抱いていた夢を歌った曲。これが登場曲と同じメロディで歌われる。歌詞も、エピゼロでレイが歌った「ドリーム」にオーバーラップして涙を誘う。この一連の流れが本当にずるい。もちろん今作だけでも十分楽しめるが、過去作を観ている人は何重にも楽しめる仕掛けが仕組まれている。
あの時レイにあれだけ強引に説得されても拾うことのできなかったポミィの夢が叶ったラスト
シーン。ドルステミュージカルシリーズの主人公である便利屋ポミィの切ない物語に光が射した。
 
衝撃的だったのがダブルワークのポミリアとヴィー。女子(?)が2人になることで舞台上のバランスがとてもよかった。少し強めのポミリアのキャラも、隣にいるのが完璧なキラキラ女子を演じるヴィーちゃんであることで中和されていた。
ポミリアはディ◯ニープリンセスのような可愛らしさ。そして、掃除屋ヴィーの高いプロ意識に裏付けられたヴィーちゃんのぶりっ子ぶり!オンとオフが瞬時に切り替わり、そのギャップがとてもおもしろい!
 
ARBPは地球人キャストの特徴を生かした、さすが亀田さん!なグループだった。特に印象的なのはペポとブラン。ペポはその特大マシュマロボディでキュートな腹ペコキャラに、現在進行形でどんどん進化している。セシィが憑依した時の豹変ぶりも可笑しい。憑依した時のおもしろさでいったらブラン。憑依したマーニィが「この体すっごく喋りにくいよ!」と苦戦することで、彼の特有のアクセントが唯一無二の個性に変わった。
アンプラネットの5月は物足りなかったそれぞれの個性も、今回は舞台上でイキイキとしていた。イマイチ面白みの無いセシィ(※愛です)も、ポムリアにウザい言わせることで面白みの無さがおもしろさに変わる。
もしかしたら欠点になっていたかもしれないそれぞれの個性が、亀田さんが拾って役に昇華させる事で愛しさに変わっていく。だから亀田さんの物語は誰にでもとても優しい。
 
ラストシーンで便利屋ポミィが、彼を便利屋と呼び、これから行動を共にしたいと申し出るアンプラネットにこう伝える。
「ポミィだよ。ボクの名前は便利屋ポミィ。一緒に来るなら名前くらい覚えてよ!」
この台詞だ。これを、きっと未だに姉さんを探し続けているアンプラネットに分かって欲しかった。君たちが手に入れたポミィは姉さんの器ではない。1つのかけがえのない魂なんだ。それを今回、「全てを分かっている」ポミィ自身が伝えてくれた。
「ポミィ!これからよろしくな!」と屈託無く答えるエリィ。もしかしたらこの熱血で直情的で少しお馬鹿な男の子が、アンプラネットの未来を救ってくれるかもしれない。
 
普段は1対多な舞台との繋がりを、ミュージカライブ中は1対1で感じられる光の仕掛けも涙を誘う。楽しいレビューパートと宇宙人流なお見送り、本当に盛りだくさんで満足度の高いミュージカライブだった。

「to be YOU to be ME 」@新宿THEATER BRATS 5月27日ソワレ

大学生6人+隣人が織りなすシチュエーションコメディ。雰囲気の良いスタジオに作られた小劇場、登場するのは男性若手俳優だけ7人、ストレートプレイで話しは観やすくておもしろい!若手俳優のオタクからしたら羨ましすぎるくらい、わたしにとっては理想的な演劇だった。推しが出てたら喜んで全通するやつ!

 
脚本・演出は亀田真二郎さん。わたしは「ドルステ(ネルケのアイドルステージシリーズ)」と「インスピッ!!(タイムリーオフィスの劇団)」で何度かこの方の演劇を観ていて、今回も脚演が亀田さんだから観に行ったところがある。もともと好きなのだけど、今回は今まで観た中でも1、2を争うほどおもしろかった。
最初は岩義人くん演じるユーヘイに感情移入してしまい少々しんどい。一緒に呑んでいた大学の同期コーちゃん、リョウくん、コダマさん、ヒロシくんにイジられてキレる。そんなユーヘイが苦手なお酒を呑んで寝ている間にユーヘイを除いた4人の中身が入れ替わった。自分だけ入れ替われなかったことに焦ったユーヘイは遅刻しているタカちゃんと入れ替わっていると嘘をついてしまう。汗だくになって、取って付けたようにタカちゃんの真似をするユーヘイ。全く事情の分かっていないタカちゃんが到着してから事態はますます悪化する。2人がコンビニへ消えると場面転換し、時間がユーヘイが寝てしまった直後へ巻き戻って最初のネタばらし。
この場面転換がグッとくる!音楽に合わせて突然機械的に動き出す役者たちが登場人物ではなくなる瞬間。如何にも舞台的な演出に心が踊る。前回の「BGにつぐ!」で見て大好きだったので、今回また観られたことに大感激した。
ここから視点は、入れ替わっていた4人へ移る。実は入れ替わったなど嘘で、ユーヘイを騙す為演技していただけだった。
亀田さんの舞台を観ていていつも悔しく思うのが、この視点を操作されていることに気付いた瞬間。次にユーヘイとタカちゃんが出てきた時はもうしんどさは無い。練習してきたのであろうユーヘイとタカちゃんの不自然な入れ替わりを滑稽に、でも早く本当の事を言ってあげないと可哀想だなぁと見ていられる。
2人の帰宅の前に、冒頭で1度部屋に入ってきたアパートの隣人が再登場する。他人なのに爽やかに「お待たせ」と入ってくる姿がじわじわおもしろい。自然にiPhoneを充電しようとして、とうとう追い出される姿はもう一回観たいくらいだった。
ユーヘイとタカちゃんの不自然な入れ替わりの中で暴走を始めるのがタカちゃんを演じる石田隼(敬称略)。彼の張り付いた笑顔と言葉では言い表せない「妙に変」なおもしろさが120%発揮されていた。もう存在しているだけでおもしろい!石田隼輝いてる!ドルステは特に思うのだけれど、亀田さんの役者の魅力を見つけて役に昇華させる才能にはいつも平伏すしかない。今回唯一よく知る役者だった石田隼が、素以上に素の魅力(?)を撒き散らしている姿を見て本当に亀田さんは天才だと思った。
 
物語も終盤、騙されていた事を知らされたユーヘイ。その後もコダマさんに「残念だ」「サムイ」と言われることにキレて部屋を出ようとする。そんなユーヘイを引き留めたコーちゃんの言葉。
「残念ってそんなに嫌かな?だって残念なのがユーヘイじゃん。残念なユーヘイが俺は好きだよ。」
ここで冒頭のシーンを思い出す。リョウくんが映画「ハル○カ」の話しをしながらコーちゃんやユーヘイに「恋愛映画の裏で、40点の俺たちは人知れず消されとるんや!!」と喚く。その時は「若手俳優使って顔面40点って…」と笑っていたが、ここで繋がった。「40点の君が好きだ。」
亀田さんの舞台は登場人物を「役者」に戻すようなことはしない。客席と舞台の間の壁は決して揺るがないし、半端に崩すようなこともしない。それでも壁を越えたこちら側に、物語を超えたメッセージを送ってくれる。
わたしが見たいのは、若手俳優というだけでイケメンにカテゴライズされてキャラクターを被って動く推しじゃない。顔面は40点でも彼らしい魅力を存分に発揮する姿だ。「40点でも、残念でも、神経質でも、ファンサが苦手でも、それが推しなんだ。そんな推しだから好きなんだ。」
40点の若手俳優を追いかけるオタクに投げかけられる優しいメッセージと入れ替わっていたタカちゃんと隣人の謎を残して物語は終わった。
 
今度は是非、わたしの推しを使ってください。

「昆虫戦士コンチュウジャー 〜ただの再演じゃ終わらない、そうだろみんな!?〜」2017年5月13日マチネ@あうるすぽっと

初あうるすぽっと。座席数300くらいって聞いてたからこじんまりした劇場かと思ったら、ゆったりと座席が作られた広い劇場だった。ロビーも無駄に広い!公共の施設だとこういう贅沢な作り方できるよなぁ。通路より後ろのセンターに座れたせいか観やすかったし、こういう施設もっと積極的に使えばいいのに。

 
昆虫戦士コンチュウジャーが30年の眠りから覚め、地球を守るべく爬虫類帝国と戦ったり戦わなかったりするストーリー。ベタなヒーローショーから始まり、最初は演技もベタなせいか(特にカブト虫)少しダレて「2時間耐えられるか?!」って思ったけど、途中で立て直して結果的にはおもしろかった。(カブト虫に演技は最後までベタだった)コメディを中心に歌わせてみたり踊らせてみたり少し泣かせてみたり、盛りだくさんな上で大団円で終わる感じは『コミックジャック』を連想させる。軽ーい観やすい感じです。行かなきゃ損って程じゃないけど、疲れた心と身体には良いかも。
若い頃の時羽奏を演じる本田礼生くんはとても可愛かった!もとさんも若手ヒーローと並んで一生懸命動く姿が面白くて愛しいのだけど、若いころの礼生くんもその変わらない根本部分が観られた。最初の裏返った返事がもう可愛いくて、おどおど逃げ回る姿、戦わずに解決しようと考えて悶える姿、愛しくないわけがない!ジョーの弾丸に当たり息も絶え絶え話す礼生くん。こんなに優しい子がなんで…と泣けるのと、咳込んで苦しそうで可愛いっていうのと。最後、姫抱っこで連れて行かれる姿まで愛しさが溢れてました。出番は決して多く無いけど良い役だった。
コンチュウジャー達それぞれクズな部分が露呈するのは面白かったけど、個人的にはもっと突き抜けてクズでも良かったかなぁ、と。紅一点の桜田ファミリア明日香と女性幹部トカゲ参謀は対照的で面白かったのでもっと殴り合って欲しかったです。女性が書いたらあそこもっと悲惨だったと思う。体型についてはずっと思ってたから自虐ネタになっててちょっとすっきりした。
 
今作で描き切ってる感じがしたから続編どうなのかな、面白いのかな。実際、コメディってだけでなく、のエピソードがあったから良かったかなぁってとこがあった。軽く笑って泣いて軽い気持ちで帰れるのはとても良かったので、時間が合えば続編も行こうと思います。

ぼくらが非情の大河をくだる時-新宿薔薇戦争- 3月16日〜20日本多劇場Aチーム

分かりやすい芝居ではないので見るたびに役者の演技もわたしの感じ方も変わって、ひとつの文章にするのは難しく、感想というよりはごちゃごちゃとした備忘録になっています。
 
 
白い公衆便所に紅い薔薇の花。こういう世界観好きな人一定数いるでしょ、分かる分かるよ、な舞台美術。そんな場面に不釣り合いな程乱暴で荒々しい言葉がいわゆる「2.5次元俳優」と呼ばれる俳優を通して投げつけられる。親切な舞台に飼いならされた「観客」のわたしはまるで喧嘩を売られているような気分で、容赦なく投げつけられる活字にどうにか立ち向かおうと躍起になっていた。
 
初見から、45年も経って時代背景も政治的思考も全く違うのに、若者たちの焦燥は変わらず共感すら覚えた。
特に父親に対する兄弟の当たりの強さ。永島敬三さんは「殺意は月夜に照らされて」で一度拝見したことがあるけれど、むしろ好感を持っていた役者さんだ。それなのに父親の台詞はすごく不快に感じた。表面上は普通に父親とコミュニケーションをとれている兄の方が「俺たちと一緒にたたかう勇気があると思うか。やつはただのうす汚れた豚だ」など見下げた発言をしているのは、自分が父親側に近づいている恐れを感じている所為だろう。わたしが父親の台詞に不快感を覚えたのもの同じだ。小さな理想も叶えられず舞台の隅に転がっているような「老いぼれ」になりたくないと思う反面、1972年の兄弟から見れば2017年のわたしはむしろ「父親」の側なのだ。その事実がわたしを苛立たせる。短く強く凶暴な言葉と暴力に変わる。兄の父親への嫌悪はそういった感じだった。
兄は弟を殺そうとしていた、それは一度は兄が理想を捨てようとしたことを意味する。それでも捨てきれず、兄は弟を追いかける。かといって、弟の方から近寄られると拒絶する。弟の理想は兄だった。突然揺らいだ理想は弟の混乱を招く。恐らくこの戯曲は、兄弟が一人の戦士として生まれ変わるための殴り合いと殺し合いを描いている。兄弟の敵は「世間」と呼ばれるものだと感じた。実体はない、でも確実に自分たちは不利な状況に追い込まれている。誰かが自分たちを外側から眺め、品定めし、笑っている。でも「世間」って、いったい誰なんだろう。戦士として生まれ変わっても、兄弟の進もうとする未来は明るいものでは決してない。
凄惨な画面とは裏腹に、ラストシーンは少年ジャンプの最終回のような、希望に満ちた爽やかなものに感じた。(これはAチーム千秋楽のアフタートークで明らかになったのだけれど、兄を演じた古谷大和の「希望があって欲しい」という思いが溢れた結果だそう)公衆便所のアンモニア臭と血飛沫と弟の屍体、そんな中に不釣り合いに輝く「希望」は、それはそれでアンビバレンスな美しさがある。それに、役者の解釈云々抜きに、そんな状況で、明るい未来など見えないに関わらず、前に進み戦うことを最善として選択した「本」に羨ましさを感じるのだ。だってわたしは蹴っ飛ばされて転がる「父親」だから。
 
千秋楽、詩人が鮮血を浴び「とっとと失せろ!」と便器に突っ伏すシーン、詩人役の神永圭佑くんが本を破り捨てた時、わたしの心臓は一気に加速した。わたしは興奮していた。2017年の若者が、1972年の言葉を超えた瞬間を目撃したから。

「あんさんぶるスターズ On Stage Take your marks!」2017年1月11日マチネ

演劇を見たいわたしとキャラクターに会いたいわたしが存在して、相反する感情が渦巻いている。
 演劇としては、この内容でよく2時間半保たせたなぁと。もともとあんスタ自体が好きなわたしとしては、メインストーリー4章、5章の芸能界や大人になることへの闇に目を向けた物語はとても好きだった(日日日先生作品の特徴なのか、若干モノローグが諄いと感じるけれど。)あんスタという作品の根幹にいる「転校生」という存在をストーリーから概念ごと削除しているのでそのまま上演出来るとは思わないが、起承転結で作られたもともとのストーリーがあるのだからそれなりの物語にはなるはずだと思う。
もちろん良い場面はたくさんある。特にスバルが北斗を呼び止めるために言葉を荒げる場面はとても好きだし、ステでも小澤廉くんと山本一慶の熱演が涙を誘っていた。しかし原作場面の再現があれば良いわけではない。どんなに良い芝居をしても物語を「起」「承」までしか上演せずに舞台の幕が閉じてしまっては舞台演劇として成り立っているとは思えない。せっかく良い場面だったのに、その芝居はこの演劇の中で何の意味もないものになってしまうように思えて残念だった。
メインストーリーの内容はほぼ1幕で終わってしまって、2幕はオリジナル(というほど練られていない)シーンと不自然に入れられたライブシーン。防音練習室で旧トリスタメンバーが入ったユニットの練習が行われて、正規メンバーが旧トリスタに「見学してろ」と言ってからのライブという流れが2度もあって流石に芸がなさ過ぎると思った。だいたい、ライブ練習に向かってどういうスタンスでどんな顔してうちわやサイリウムを振ればいいのだろう…
なまじ集客が見込めるせいで、舞台化する際に必須であるはずの物語世界の「再構築」という作業をおざなりにしているように思えた。残念。
キャラクターに関しては、初演組は安定していたし、今回はユニット単位で出演しているのでそれぞれの個性が色濃く出ていて良かった。
流星隊は前説からわちゃわちゃ感が楽しい。ストーリーに絡むようで全く関係のない立ち位置なのでとっても能天気。5人とも自由に動けるキャラクターのせいで色々なとこでごちゃごちゃやっているのも賑やか。これでそれぞれが慣れてきてもっと自由に動くようになったら騒がしいだろうなぁと今後が楽しみになった。今回1番のびのび演じていたのは仙石忍役の深澤大河くん。特に翠くんを励ましたり端でこそこそ動いているのが可愛かった。
fineは顔面偏差値が高い。特に英智役の前山くんは登場シーンだけで皇帝陛下だ…と分かるオーラがあった。綺麗なお顔で優しく微笑んで立ち姿も美しい。声は澄んでいて綺麗。何よりその無邪気さと滲む毒々しさ。正直今までゲームの立ち絵だけではここまで英智さまの魅力を感じ取ることはできなかった。fineの中でも群を抜いているこの天祥院英智に対抗できるのは、やはり小澤廉が演じる明星スバルだけかもしれない。
我らが赤澤遼太郎演じる大神晃牙。初演はかなり贔屓目で見ても褒めきれない演技だったけれど、さすが成長目覚ましい。とくに遊木真に嬉しそうに声をかける姿は晃牙くんの可愛さが爆発していた。ゲームの晃牙くんは喧嘩っ早さと内に秘める優しさという印象が強いけれど赤澤遼太郎の晃牙くんはひたすら素直でかなりお馬鹿な仔犬といったところ。
前作に引き続き山中兄弟のひなたゆうたや樋口裕太くん演じる神崎も、ゲームの印象と少しくらい外れても、それ以上のキャラクターの魅力を生み出していた。2次元のキャラクターが3次元に、張りぼてではなくきちんと肉を持って立ち上がった感じがしてわたしは好きだ。

回数を重ねるごとに、役者の作るキャラクターは魅力を増す。その魅力を、物語の中で存分に堪能させて欲しい。ストーリーをライブのおまけにしないで、彼らの生き様を見届けさせて欲しい。
好きだから、わたしはまだ少しだけ次回作に期待と希望を持って待っていようと思います。

2016年12月15日マチネ「パタリロ!」紀伊國屋ホール

開演前客席に流れる昭和の代表的な音楽。回るミラーボールにカラフルな照明。わたしは昭和の時代を知らないが、チカチカと明るく浮き足立った雰囲気が普段は重厚な紀伊國屋ホールに広がっている違和感。幕が開いて連れていかれたのは古き良きなんでもありな昭和世界だった。平成の観客に向けた昭和を生きたキャラクターからの発言に何が始まってしまうのかすでに付いていけないまま始まったM1は、まさかの「花とゆめ」「白泉社」讃歌。ここはどこだ、とか、きっとそんなこと考えてはいけない舞台だったのだ!
加藤諒さん演じるパタリロは奇跡的な三頭身の潰れあんぱん。こんな人間本当に居たんだ…と不思議生物を見る感覚は、きっとそのままパタリロと出会った多くのキャラクターたちの感覚だ。
彼を囲むタマネギ部隊が可愛い。コミカルな動きに「タマタマ」という鳴き声(?)はしゃぐ姿に踊る姿。個を持たないゆるキャラのよう。メーキャップをオフした素顔は美少年のはずだが、美少年というよりおもしろお兄さんだった。注目は石田隼くん。1番小さくて1番よく動くタマネギ。ひし形の口がよく似合っていた。
いわゆるアンサンブルの魔夜メンズも無視されず、フューチャーした場面があるのは新鮮だった。彼らがありとあらゆる役になるおかげで舞台上はいつもガヤガヤしている。カーテンコールで出演者が並んだ時、これしかいなかったんだ…と驚いたほどの存在感で舞台を盛り上げていた。
印象的だったのは青木玄徳さん演じるバンコラン。細長い手脚に小さくて端正に整った顔、そして何より声と話し方がバンコランそのものだった。あの渋い声だからこそ、パタリロとのちょっとしたセリフのやり取りやマライヒにお熱な様子がおもしろい。佐奈宏紀くん演じるマライヒは可愛らしい顔立ちながらも全体的にやや大きい。ただ本当に見た目が綺麗な2人なので絡みシーンは絵になる。歌う2人を見ながら、わたしは昭和の時代に「花とゆめ」を開く女生徒になった気分だった。BLがジャンルとして確立する前。期待に胸を膨らませながら漫画誌を開き、バンコランとマライヒのキスシーンに今まで感じたことのない胸のときめきを覚える。劇場を埋めるのは、年代はばらばらでも、教室の隅でクックロビン音頭を踊っているようないつかの女生徒たちだった。
そのクックロビン音頭、いつ出るかいつ出るかと思っていたのだがなかなか登場しない。クックロビン音頭が入りそうな場面で流れるのは「ダンシングなまはげボーイ」。どの曲もなんだかクセになるのでプレイヤーを買っておけばよかった。そして物語のクライマックス、バンコランの窮地。物語にどっぷり浸かってハラハラしていたところに、パタリロがタマネギを率いて登場。「パパンがパン」え?!「だーれが殺した、クックロビン」ここで?!深刻な顔をしていたバンコランやマライヒまで踊り出す。パタリロとタマネギは客席に降りてきてしまう始末。私は思い出す。そうだ、この舞台では考えるなんて無意味だった…
技術を競いあうような2.5次元演劇で、小道具がちょいちょいハリボテなのがチープでかわいい。バンコランの目力はレーザーポインターを使った物理攻撃だった。ラストを飾る曲は2018年春に決まった新作公演の予告。前代未聞だ。この舞台、結局内容なんて無いに等しい。それでも劇場中で悪ふざけをするような楽しさが充満していた。私は2018年春までに「ポーの一族」と「ガラスの仮面」(ネタが多少わかるくらいには)を読んでおくことを誓って、昭和の世界を後にしたのだった。