舞台『モブサイコ100』〜裏対裏〜 銀河劇場2018.9.13~9.17 / 新神戸オリエンタル劇場2018.9.23
今作の主人公はモブであり、律であります。
私は原作は全くの未読なのですが、前作を観た際にモブの輪郭は律の存在によってより濃くなっていると感じていました。
そして今作、律は大人びた弟、という印象とは裏腹に、幼く素直な中学生でした。
カツラによって変形したテルの頭頂部を「脳が…すごく発達していた…」と解釈するのめちゃくちゃ素直で可愛くないですか?!
モブに「僕に超能力をぶつけてもいいよ?!」と声を荒げる姿は、どうしても兄に構って欲しくて駄々をこねているようにしか見えません。
このシーンの、松本岳の少し上擦る声が好きでした。
他人から見たら完璧とも見える律が、モブにここまで固執しなければならないのはこの2人が兄弟だからこそでしょう。
律が兄のことを「兄さん」ではなく「あなた」と言い換えた後、モブは律に「僕を突き放そうとしたって無駄だよ、だって兄弟なんだから」と言います。
モブのくせに、本質をつきすぎて怖い台詞です。
「ある日の影山家」というワンシーンがエンディングの後に差し込まれていました。
スプーンを曲げてしまって困っているモブを律が手助けする何気ないひとコマ。
兄として心の底から律を尊敬するモブと、「超能力でイタズラしちゃダメでしょ」と言いながら、その声はどこまでも優しい律に、あのラストシーンがあった後だからこそ、こんな2人が観たかったんだ、と思いました。
超能力がこの2人の間に当たり前にあったこと、その当たり前を律だけが持っていなかったこと。
優しい世界を見せた粋な場面であり、残酷な場面でもありました。
律が超能力を持ったことをモブに告白したとき、律はモブに、唯一のアイデンティティ(と、律は思っていたと思う)を盗られて焦ること、黙っていたことを怒ること、など、正常な拒否反応を期待したと思います。
しかし、モブが放った言葉は心の底からの優しい「おめでとう」だった。
この兄弟喧嘩、モブが”こんな“な所為で律はめちゃくちゃ分が悪いですがどう決着するのですかね??(原作未読)
モブ役の伊藤節生さんへの態度とか、vsなだぎ武の態度とか、松本岳のあざとさが悔しいながら可愛いので、次回作でどう決着がつくかを楽しみに待ちたいと思います。
推しの話をしましょう。
今回、星乃勇太さんは生徒会副会長の徳川光と、リコーダーの先っちょをダウジングで探すおさげの女子Bを演じていました。
この女子B、女装に定評のある星乃さんが普通に女子生徒を演じたら可愛くなりすぎちゃうせいか、変なダウジングのロッドを持つに相応しい(?)メイクと表情と発声で、なかなか癖のある子に仕上がっていました。
キャーとか言いながらスカートを自ら捲りあげてパンティを丸出しにするのですが(しかも2度も)、紙おむつのような柄パンティと煮干しのような脚の色気のなさ!
諸事情で作品名は出せませんが、自分の脚をあれだけ色っぽく使いこなす星乃さんが、コメディの文脈ではそれを微塵も感じさせないところに、役者としての力を感じました。
初日こそあまりに驚いて叫ぶのを堪えたもの、毎回拍手喝采がおきてもおかしくない丸出しっぷりだったのですが。
若干引き気味の客席に、パンツごときで引いてんじゃねーよ、っていうかまあまあウケてる「思春期の女ってこえーよなー」って台詞の方がよっぽど笑ってる場合じゃないドン引き台詞だからな?!と、価値観の合わなさに憤慨していました。
後半なんて、イケてる女子Bちゃんのパンティを見る為に劇場入ったと言っても過言ではないです。
見事でした。
そして、前作に引き続きメインキャラクターの徳川光。
今作は、徳川さんの信念やそれを真っ直ぐに貫く様子、親友が相手だからこそNOと言える強さなど、彼の格好良さを見ることができました。
「ふっ」と笑うとこなんてめちゃくちゃに格好良くて、もうさっさと塩中に入学してダウジングで徳川さんを探し回りたいくらいです。
圧の強い表情も、コミカルだったりシリアスだったりの使い分けが圧巻でした。
堅いようで様々な表情を見せ、それでもブレない安定感があります。
他に気になったのは、オープニングのショウくん。
オープニングで登場時、その一瞬のキメ顔で、彼はいったい何億人の老若男女をモノにしたでしょうか???
永田聖一郎くんは天然紅色ほっぺが可愛いですね。
全体の感想としては、長い。
上演時間は途中休憩なし2時間15分を予定しております、は、長い。
初日から後半飽きちゃったのは相当だと思うし、初日は展開が分からなくて長く感じるけど2回目はあっという間だね、どころかさらに飽きてしまいました。
前作もまあ飽きたけど、今作は起承転結の「起承」までしか無いから間延びしてしまっているように感じました。
むしろ影山兄弟が描かれた今作は、前作よりは見応えがあったですが…
起承転結の「転結」を残して終わったので、次回作もあるのだろうなぁと思います。
てっきり千秋楽とかで発表するかと思っていました。
推しさんが出たら行かざる得ないから、兄弟喧嘩の続きはそこまで取っておこうっと。
舞台「ひらがな男子」2018.7.20~7.29 @AiiA 2.5 Theater Tokyo
原因不明の大爆発によりバラバラになってしまったひらがな達が、再び文字をこの世に取り戻す為に、いろいろ頑張るおはなしです!
脚本をお笑い芸人のバカリズムが書いているということで話題になった「ひらがな男子」
台詞のやり取りや随所に入れられたメタ発言がおもしろかったです。
キャラクターも、既存のキャラ属性に当てはめた画一的な感じでなく、1人のキャラクターが様々な面を持っていて、とても“人間”らしく感じました。
そして何より、その脚本を、役者の方々がのびのび楽しそうに演じているところが印象的でした。
毎公演、その場その場の空気や勢いで台詞のニュアンスが変わって飽きさせません。
キャラクターと、役者の素が出てるんじゃないか?と錯覚するようなギリギリのところをついてきて、演出と役者さん達の力を感じました。
春日兄弟演じる「ぁ」と「ぃ」のけっこう自由な感じがかなりおもしろかったのですが、彼らにはどこまで演出をつけたのでしょうか。
“ああなっている”のではなくて、演出されて”ああしている”のではないかと、ちょっと恐ろしくなるくらい「妙」なところをついてきます。
そして兄弟、はちゃめちゃに可愛い。
「ぃ」の可愛さにはあの星乃さんも目尻を下げていました。それがまた可愛い。
もう数えるのをやめたくらい川尻さん演出の作品を観ているのですが、どの作品も、原作の空気感をそのまま舞台で感じます。
再現ではなく、表現として、です。
なので原作が肌に合わないと、よくもこんな作品にわたしの大事な推しを呼びやがって、と思うのですが…
「ひらがな男子」は良い意味で力が抜けたように感じる舞台の上で、推しの芝居を堪能させていただいたので、選んでくれてありがと~って感じです。
ここからはネタバレも含めた話になります。
星乃さん演じる「よ」
そんな芝居もできるんだ、と新しい一面を見た役でした。
決して派手な言動のキャラクターでは無いのですが、流れるようなゆったりした話し方や基本穏やかな表情で、存在感をしっかり示していました。
見せ場は、占いの館で出会った「た」に自分は「よ」だと言い出せず、「う」だと名乗っていた嘘がバレた場面での“逆ギレ”でしょう。
この界隈で、あんなに見事な“逆ギレ”を見せてくれるのは星乃さんだけです。
美しい顔を台無しにしてキレる姿は、威嚇する猿のようでした。狐なのに…
あれだけキレ散らかしているにも関わらず、見ている方はただただ愉快な気持ちで見ていられるのもすごいなぁと思います。
エンターテイナーです。
2部はファンサもさることながら、何故「よ」が歌っているのかイマイチ分からない歌詞も溢さず歌い上げていて、さすがこの道のプロでした。
それぞれ様々に2.5次元舞台に出演してきたキャストの方々が集結している本作ですが、伊達にいろいろな役を演じてきているわけじゃないな、という貫禄を見せてくれました。
他は、「ぬ」が大抵のことを力技で乗り越えようとする感じがツボでした。
「に」は歌が上手で、もう少し歌うところを観たかったです。
「ば」の福島海太くんは、ラスト5分の登場で普通を絵に描いたようなキャラにも関わらず、すごい存在感がありました。
ライブも前説も、1番観客を盛り上げていて、彼もまた、さすがこの道のプロだなぁと思います。
そして、「あ」役で座長の佐奈宏紀くんの自由な演技が、この作品のキャラクターの捉え方が他の2.5次元舞台と少し違うことを示していました。
バカリズムさんがインタビューで「裏切ります」と言ってるのを聞いたとき、「全身タイツのトカゲ以上のことをしてくれないと、そう簡単には裏切られないぞ」と思っていたのですが、キャラクターに関しては少し裏切られたな、と感じます。
最後の「う」のネタばらしが少し長く感じましたが、シリアスな場面も決して真面目なままでは進めず、思わず笑ってしまう台詞が入っていておもしろかったです。
1部で歌われるのは、登場するひらがなを使った言葉遊びのような歌詞の曲。
2部はどちらかといえば、ひらがな達のキャラクターにフォーカスを当てた歌詞。
どちらも歌詞に意味があるような無いような曲ですが、慣れ親しんだ「いちばんかんたんなもじ」に、心をほぐされるようでした。
渋谷と原宿の間にひょっこり現れた「ひらがな」の世界。
優しい世界の無邪気な男の子たちと、楽しく遊べます「よ」
ミュージカル「テニスの王子様」青学vs氷帝 2018/7/15マチネ@TDCホール
数多の2.5次元作品がありますが、俳優たちの流した汗がこんなにキラキラ輝く舞台は、やっぱりテニミュだけだと思います。
全国大会準々決勝、青学vs氷帝。
オープニングでは前作の比嘉戦、そして関東大会での氷帝戦がダイジェストで再現されます。
比嘉戦に通っていた観客はそこに青学9代目を見るだろうし、関東大会の氷帝は青学8代目が重なって見えます。
または2ndシーズン、1stシーズンの青学、比嘉、氷帝をそれぞれに重ねるのだろうこのシーンで、今、舞台の上にいるのは、今作が初本公演となる青学10代目。
テニミュの歴史を肌で感じる瞬間です。
テニミュは、バックステージを含めてひとつの作品となる、2.5次元舞台の先駆けと言われながら、追従できるものが無い特殊な作品だと思っています。
舞台としての完成度もさることながら、若いキャストのその若さ、「テニスの王子様」という作品が紡いできた歴史、全て含めて「テニミュ」という作品です。
キャストたちは、各校テニス部のキャラクター役に選ばれたと同時に、「テニミュキャスト」という役も背負う、「テニミュ部」という感じだなぁ、といつも思います。
テニミュに「青春体感ミュージカル」というフレーズが付けられたのは、確か2ndシーズンの全国大会氷帝でした。
これは余談ですが、ネルケプランニングの若手俳優舞台の3本柱が、「テニミュ」「アイドルステージシリーズ」「ミュージカル刀剣乱舞」だと勝手に思っています。
「テニミュ」のバックステージ的なおもしろさを、舞台パートとして見せたのが「アイドルステージシリーズ」
「アイドルステージシリーズ」の2部構成システム(2部はライブです、というあれ)を、既存のキャラクターを使って行ったのが「ミュージカル刀剣乱舞」ではないでしょうか。
話をテニミュに戻します。
関東大会と変わらぬメンバーでテニミュに「再入部」を果たした氷帝学園。
関東大会から今日まで、それぞれの場所でレベルアップしていたことを感じました。
なんと言っても、この期間で推しと一緒に仕事をした人が氷帝だけで5人もいます。(この場合氷帝もすごいけど、推しもとってもすごい)
関東氷帝は跡部景吾役三浦宏規くんの身体能力の高さばかりが印象強かったのですが、全国大会では1人1人が印象を残せる役者になっていました。
もちろん、三浦くんのジャンプやターンは、派手な演出など不要なのでは無いかと思うほど美しかったです。
個人的に印象に残ったのは、忍足侑士役の井坂郁巳くん。
彼の独特な表情や雰囲気が、忍足侑士にうまく混ざって、今まで見たことのない忍足侑士となっていました。
必死になった忍足は、もしかしたらこういうちょっと「気持ちの悪さ」を持っているのではないかと思った程です。
青学の注目は、不二周助役の皆木一舞くん(慣れない)
切れ長の目が濃い肌の上で光って、キリっとしたクールでかっこいい不二です。
見た目は!
一言台詞を口にすると、印象が180度変わります。
え?今、小鳥さんがさえずった??
零れたふわふわの言葉がTDCホールの高い天井に浮かんでいたし、青学の姫というか妖精というか天使というか、全部ひっくるめて青学のオアシスでした。
不二、青学のオアシスでした。
声量も滑舌も十分なのですが、声が可愛くて優しいです。
走り方も可愛い!
歴代不二には、泣き虫だったり、顔は可愛いけど裏番だったり、腕力最強だったり…
様々なタイプがいましたが、こういう形で見た目と中身にギャップのある不二は初めてです。
そして今作品で不二の最大の見せ場である「ヘビーレイン」
今まで、あんなに優しいヘビーレインを聞いたことがありませんでした。
心が浄化されるような歌声です。
そんな歌声に感化されたのか、心なしか雨音も優しく聞こえ、雨の妖精とか出てきて、イブ不二と一緒に踊りだしそうでした。
彼自身とキャラクターが馴染んだ時、どんな不二が生まれるのか、次の四天宝寺戦、S3での不二がとても楽しみです。
思い入れの深い試合はいろいろありますが、今回はD1、大石・菊丸ペアvs宍戸・鳳ペアでしょう。
大石が怪我をして離れている間、様々なペアでのダブルスや時にはシングルスで、必ず間に合うと信じて待っていた菊丸
自分よりもチームのために動いてきた大石は、やっぱり菊丸とチームの為に、そして何より自分の為に、不完全でも試合に出ることを決めました。
ダブルスでなら、という形で宍戸を引っ張り上げた跡部
チームからは一歩距離を置いているように見えて、誰よりも氷帝を思い、勝って跡部に繋げると叫んだ宍戸
鳳はそんな宍戸を慕い、愚直に勝利を追いかけます。
一試合に詰め込んだら崩れそうな程のドラマです。
ゴールデンペアは「勝って当たり前」だったペアなので、きちんと描かれる試合は、ペアで出られない試合や負け試合が圧倒的に多い。
菊丸が大石のラケットを制止した瞬間、私は泣きながら「また勝てなかった」と思いました。
たとえ何周目であっても、「負け」を見るのはつらいものです。
歴代たくさんのゴールデンペアが上ってきたコンテナに、10代目のゴールデンペアが立ちました。
彼らはこれから「全国No.1」になるゴールデンペアです。
かつて、全国大会への切符を手にしながら「自分たちは全国へは行けないけれど」と卒業していった青学がいました。
たくさんの夢を繋ぐ「テニミュ」
重たいバトンは今、青学10代目が握っています。
「超歌手」大森靖子
読んだだけで心が軽くなるような言葉は、結局耳障りが良いだけだ。
私はこの本を発売日でも給料日でもない日に買った。
なんでも無い日だった。
でも、何か無いと、私を新しく支えてくれる何かが無いと、もう家にたどり着けないと思って、仕事の帰り道に本屋へ駆け込んで購入した。
本当は新しく発売したアルバムを買うつもりだったけど、帰り道に無いCDショップへわざわざ行く程の気力も無かった。
彼女の言葉は私の薬だ。
無くて平気なときもある。
推しと会ってから数日は、現実はいつも通りクソだけど、思い出はまだ甘いし、スピッツとか聞きながら幸せに浸れる。
最高。
今までは本命の現場前とか現場中の情緒不安に彼女の言葉を使っていたけれど、最近それどころじゃない程人生がクソでクソで、頑張って情緒安定させてやっと落ち着いた2秒後に平気で最低なこととか起こりまくってて、そんなことが一ヶ月に何度も何度もあって、ようやく折り合いつけて乗り越えてもぜんぜん無意味で、なんでちゃんと歩けてるのか分からないような状態でこの本を買って読んだ。
倒れないで、って支えてくれるというより、もういっそ倒れちゃおーよアハハー!!!!!!って笑ってくれる本だった。
私は呪いと闘おうとしていたみたいだ。
仕事だから好きな服も好きな髪もできないとか
好きでもない人との好きでもない飲み会に出ないといけないとか
ハタチ超えてキャラもの持つのはイタいとか
若手俳優のリア恋に向けられる偏見とか蔑みとか
男とか女とか年齢とか容姿とか
そういうのぜんぶ呪いだった。
私、良い子だったし変に器用だったりするから、うまく闘えなくて折り合いつけたり「まあこんなもんかな」とか思って生きてきたけれど、違和感は喉につっかえてどんどん硬く大きくなっていた。
推しは私の気道をこじ開けてくれるからそれで呼吸して、まだ大丈夫って思って、
でも、逆に私の気道に異物を詰め込んでくる奴もいるし、それどころか自ら詰め込んでしまうときもある。
靖子ちゃんはまず、私の喉に詰め込まれた異物を、こんなに取るに足らないものだよーって吐かせてくれた。
そして、彼女の闘い方を示してくれた。
靖子ちゃんの言葉はめちゃくちゃだけど重かった。
生きている人の生きたままのどろどろの言葉。
砂とか宝石とか汗とかラメとか血液とかいっぱい混じった泥水。
泥水を浴びながら、私は靖子ちゃんじゃないから、彼女の闘い方を模倣しても意味がないと思った。
闘わなければ楽だけれど、そうしたら私は本当に窒息死してしまうだろう。
私は私の闘い方を探して作って選んでいかなければいけない。
だから私の体は重い。心も重い。クソ重い。
でもたぶん、それが生きているってことだ。
おん・すてーじ『真夜中の弥次さん喜多さん』三重 2018/6/23マチネ@シアターGロッソ
弥次さんによって撲殺されてしまった喜多さんの心臓の鼓動を取り戻す旅を描いたハートフル(?)ラブコメディ。
笑って観ていた茶番劇がだんだん笑えなくなってしまう。たかが演劇と思っていたものが、だんだん私の「リヤル」に重なってしまう、そんな怖さがありました。
弥次さん喜多さんが旅をする「ペラペラのお江戸」
得体の知れない生物、脈略の無い言葉、天と地は簡単にひっくり返り、死んだり生き返ったり戻ったりを繰り返す世界。
特に前作はグロテスクなシーンが多く、ほんの数十分前までの穏やかな旅路から、戻ることも進むこともできず過ぎて行く時間に吐き気を伴うほどの気持ち悪さを感じました。
ただ、今作の恐怖は少しかたちが違います。
むしろ、前作で感じた怖さや気持ち悪さは、単なるカタルシスだったのだと思うほど。
今作の恐怖は完全に「観客」である私たちへ向けられ、今私が実際に立つこの地面を恐ろしく不安定なものにしました。
否、この作品によって不安定になったのではなく、私にとっては青春時代に直撃した「3.11」から、ずっと抱いていた世界への不安を思い出させたのです。
分かりやすく描いたのが、おかまの熊さんがいる半分海に浸かったシーサイドインでした。
昔に戻ることが最良だと喚く老人、無責任な優しい言葉に縋る若者。
刻々と迫る大地震より、トレンドの海老が描かれたバックを持っているかどうかの方が重要な問題です。
結局、大地震によって宿が丘の上に戻ることも、明るい未来が訪れることもなく、さっきまで歌ってた人も呑んでいた人も祈ってた人もみんな海の底に「どぼん」と沈んでしまいました。
相変わらず、この世界ではさっきまで生きてた人が簡単に死にます。そこには「人が死んだ」以上も以下もなく、事実と死体だけ転がって。
「死」へのオーバーリアクションが無いことは、毎日どこかで誰かが死んでいる私たちの世界にとって、むしろ自然な反応に感じます。
どんなに道徳を説いても、テレビの向こうの殺人より、舞台上のアイドルの方が、私にとっての「リヤル」です。
「ふらわああれんじめんと」は甘い言葉と優しい視線をくれるアイドルではなく、ただの綺麗なお花でした。
誰かにとって都合が良いから、何より私がそうであって欲しいと望むから、今日もお花は舞台の上で微笑みます。
手の届く場所にあるものが「リヤル」なら、私の「リヤル」はやっぱり現実の生死より、今まさに目の前の舞台上に拡がる虚構だと、どうせそうだろう?と、万ジョン次郎の叫びは現実の、客席に座る私たちにストレートに投げつけられました。
茶番は終わるものだと弥次さん喜多さんは言うけれど、旅の途中で突然放り出されてしまう私や万ジョン次郎は、そんなに潔く割り切れません。
「おん・すてーじ『真夜中の弥次さん喜多さん』三重」の壮大な茶番劇は、その先にあるものを示しつつ、一列に並んで、一礼をして、幕を閉じました。
2次元と2.5次元、仮想現実が溢れる世界で、一体なにを「リヤル」とするのかい、と、私たちに投げつけたまま。
そういえば、喜多さんの心臓の鼓動は、弥次さんの愛の言葉によって蘇りました。
生きていて心臓も動いている人なんて、もしかしたらそんなにいないのではないでしょうか。
止まっているのに動いていると錯覚しているかもしれないし、鳴っているのに聞こえていないかもしれない。
私のおクスリはまだ抜けないし、心臓の鼓動も聞こえないままです。
おっさんずラブ 2018/4/21~2018/6/2 @おうち
楽しかったですね。
最終回放映後はじめての日曜日、澄み渡る青空に包まれて世界はキラキラしていました。
ジェンダー論とか伏線回収とか読唇術とか、たくさんの人が考察をしてくださっているので、ここにはわたしの感想だけ記録しておこうと思います。
因みにわたしは7話をその晩のうちに2周観ましたが、「巨根じゃダメですか?」の伏線回収しか分かりませんでした。伏線なのかあれは…?
この物語では主人公の春田創一が、部長に同僚に幼馴染に恋されるということでしたが、なんで春田?とは思わせない力がありました。
春田がどんな人なのか言葉にしてしまえば、ダメなとこの方が多いんですよね。
牧も「悪いところ」なら10個すぐに言えてたし、部長もラブレターに「バカで」って3回も書いていたし。
部長はもっとはるたんに盲目的な恋をしているのかと思っていましたが、10年も恋をするとたくさんの欠点も「可愛すぎるぅ~」に集約されてしまうのだなと思いました。おっさんのラブは深いっすね。
それでも、彼が人に好かれることには、充分過ぎるほど説得力がありました。
春田の美点とされるところを言葉にしてしまうと安っぽくなってしまうのですが、本能的に人間が惹きつけられる理由を持っている人です。
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彼の顔って、思惑のない彼の心を象徴してるかのようにピュアなのだ。(中略)がっしりとした体に、悪気のない表情を載せている男の子ってあまりいないものだということに最近、気がつき始めていた。
山田詠美/放課後の音符(キイノート)
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これは、私がこの世で1番好きな「男の子の描写」のひとつです。
春田にも、こういう、大人になってしまった男の子女の子の「心のある部分を、きゅんとつねる」魅力がありました。
そんな春田に恋をする牧遼太。
目は口ほどに、どころか、音にできなかった言葉がポロポロと零れ落ちる宝石の瞳が、春田とは別の意味で観る者を惹きつけたのは言うまでもないでしょう。
牧が少しダボっとした私服を好んでいたことが気になっているのですが、どう解釈したら良いのでしょうか。
小柄な身体を少し大きく見せる為なのか、筋肉質な身体を華奢に見せる為なのか。
伝説のバックハグ、春田の身体は言うまでもありませんが、盛り上がった牧の胸筋にもトキメキを覚えざるを得ませんでした。
そして、全人類が恋した武川主任。(※個人の見解です)
思い返せば脚ドンも、手を握るのも、顔が近過ぎるのも、傷口ふーふーも、指を絡めるのも、おデコとおデコで熱計ったりなんちゃったりも、壁にドーン!も、最後には手を握られちゃったりなんかして、「胸ギュン」場面のほとんどを武川さんが担っていたではないですか?!
牧が「マサムネ」と呼んだ瞬間、何故か私が、何故か武川さんにラブを持っていかれてしまったのは、いったい何力学の力が働いたのでしょうか。
付き合った当初の牧は武川さんがドヤっていたように、「アイツ俺がいないと駄目なんだよ」だったのでしょう。
春田に初めてご飯を作った時の「カロリーとかバランスが大事なんで」は、武川さんの受け売りなのではないでしょうか。
それどころか、実家暮らしだった牧が母から料理を学んだのも、武川さんの為だったのかなと思っています。
マサムネがいなきゃダメだった牧を愛を込めて育てあげ、マサムネも牧がいないとダメになった時、牧はマサムネの元を巣立っていったのです。
どっかのラブソングかよ…
最終的には若い2人の背中を押すことになった切ないおっさんずのラブ。
青空の下屋上の場面は良いシーンでしたね。
部長が春田との恋を最後から「5番目くらいかな」、と言っていたこと。たくさんの恋をしてきたのであろうおっさんに尊敬の念を覚えました。
とりあえず私は次に「隣の家族は青く見える」を観ようと思います。
マロも可愛かったです!
「はるた」を下の名前だと思って呼んでたところも、蝶子さんの為に背伸びして呑むウイスキーが強すぎて一口で「チェイサー」と言うところも可愛かったのですが、1番心に残ったのは、春田との屋上のシーンです。
牧に公開告白、言ってしまえばカミングアウトをした直後、春田の肩を抱いて「友達」として慰める。
このドラマの強さはこういうところだと思います。
ドラマでは恋愛のひとつのゴールとして「結婚」が描かれていました。
私個人としては、「結婚制度」への夢なんて「そうよお得になるからペアを組んだの」くらいにしか思っていません。
ただ、このドラマの「結婚」は、男同士という点で制度的なものではあり得なかった。
制度的な結婚については、早い段階で武川さんが懐疑的に扱っていました。
結婚制度を越えて、「結婚」を「好きすぎてヤバいからする」と捉えるマロ、条件に合う人を選んだちず、両方存在したことがおもしろかったです。
これは余談ですが、どこに挟むべきか分からなかったのでここに。
まいまいの貢ぎ癖を観ながら、身に覚えがありすぎて震えました。
まいまいの行動も「愛に形が欲しかった」ひとつの結果だと思っています。
戻ります。
春田は好きの最上級として「結婚してください」を叫びました。
この単純でまっすぐな可愛い春田の姿に、凝り固まった心と頭が柔らかくほぐされるようでした。
それにしてもカッコ悪い告白でしたね。
汗だくで、脱げた靴持って、動きも必死すぎて。
私は、それが恋愛でも友情でも、男同士の不器用で真っ直ぐな感情が縺れ合い、ぶつかり合うことにトキメキを覚えました。
(製作陣のインタビュー読む限り、「男同士」ではなく、「恋愛ドラマ」を、ということだったようなので、私の感想は意図とは違うのでしょうが。)
嘘の無い、吐いた息の生暖かさを感じるような男達の物語。
役者陣が魅せてくれた人間のカッコ悪さやカッコ良さは、喉が渇くほど愛おしいものでした。
「牧が好きだー!」
春田がそう叫んだ瞬間、大袈裟ではなく、雨は止んで雲は晴れて、青空が世界を包むの感じました。
牧の片思いも、1度も春田からの「好き」がなかった交際期間も、別れる時の嘘と涙も、別れてからの1年も、ついでに6話終了から7話ラスト10分までの鬱々とした私の1週間も、ぜんぶこの瞬間のためにあったのです。
牧も春田も顔をぐちゃぐちゃにして。
青空と2人の服の紅白が、そのまま私の幸せの色になりました。
そして、そんな幸せの色を引き継いだラストシーン。
春田に「マジでやめろって」と言われて下を向く牧と、そんな牧に気付く春田。
春田が牧の感情の機微に気付いた!と感動しましたが、春田はもともと気付かない人ではないと思います。
1話で、病院に運ばれた春田が無事だったことを知って表情を緩める牧に、「お前でもそんな顔するんだな」と言っていました。
むしろ牧の方が、春田に惹かれれば惹かれる程、春田に感情を見せないようにしていったのです。
よく考えれば、牧の切ない表情はいつも春田の背中に注がれていました。
(まあ、「春田さんのことなんか好きじゃない」をただ1人間に受けた春田だから、100%気がつくとは言い切れないけれど…)
あの幸せ色の場面は、もう我慢しないと決めた牧が、春田に感情を見せた牧の成長も感じました。
と、感動も束の間、悪戯に笑って牧押し倒す春田。
春田をそんな子に育てた覚えなくない?!
RICE on STAGE 「ラブ米」〜I'll give you rice〜 2018/4/21~4/30@品川プリンスホテルクラブex
美味しいごはんを食べた時、思うことはシンプルだと思います。
夢中で食べて、「ご馳走様でした」をして、心と体が温まっているのを感じる。
「RICE on STAGE ラブ米〜I'll give you rice〜」はそういう美味しいごはんのような舞台でした。
イナゴの危機から学園を救い、米米フレンズとして友情を結んだラブライス、ST☆RICE、GAZEN BOYSの前に、最強の敵であるフリーカが現れます。
この最大の危機を前に、あきたこまちはラブライスを飛び出してしまいます。そのうえ、GAZEN BOYSの2人はフリーカに洗脳され手下に、そして、アフリカから帰ってきたST☆RICEの3人も、後輩2人を残しフリーカへ付いていってしまいました。
バラバラになってしまった米米フレンズたち。
フリーカを倒し、日本の食文化を守ることはできるのでしょうか。
前作に増したパロディネタに、演出・村井雄さん手がける独特な世界観の演出が光ります。
稲穂学園に「未確認焼きそば飛行物体」が迫るという台詞に自分の耳を疑った後、おもむろに現れ客席を浮遊する“某インスタント焼きそば”を見た時の「マジか…」感は、きっと舞台を観ないと感じられないでしょう。
個人的に初日のインパクトが強かったのは、フリーカの登場シーンです。
天井から巨大な照明が降りてきて、大量に焚かれるスモーク。これでもかと思うほど焚かれるスモーク。客席に向けてだめ押しのように噴出するスモーク。観客の視界を容赦なく奪うスモーク。(さすがにDVD収録日は控えめになっていました)
リピーター客も多いラブ米ならではの「悪ふざけ」に笑うしかありませんでした。
そして、ラブ米の名物になっている「トカゲ」。今回は平山に加え、米フェスの際にアフリカへ行っていたST☆RICEのネリカ、トヨハタモチがトカゲとして客席から登場。
米がトカゲになるという意味の分からなさ、そして、「私たちはトカゲからカメレオンに進化したのです!」というセリフ。進化論めちゃくちゃだよ!
「意味わからない」もこれだけ立て続けに起こると、理解を通り越して納得してしまいます。米米キャストたちはこれを「洗農(洗脳)」と言っていました。噛めば噛むほど味が出るように、「洗農」されて本当の美味しさに気づくような舞台です。
コメディを言葉で説明しても仕方ないので、大人が真剣に悪ふざけするこの舞台に、必死で食らいついて「ハートフル米ディ」を作り上げた米米キャストの話をします。
主演ひのひかり役で、座長の田村升吾くん。
大げさではなく、彼がひのひかりだったからこそ、今こうやって RICE on STAGE 「ラブ米」は完成しました。
もっと経験があって器用な役者を使ったら、ラブ米の味わいは違うものになっていたのではないかなと思います。
ある意味では、彼の成長を追ったこの1年でした。
このとんでもない世界観の作品で、座長を若くて経験も浅い田村くんにした、その狙いがピッタリはまっていました。
パロディに溢れたコメディ舞台という側面と、若いキャストが体を張って全力で挑む姿。ラブ米がふたつのおもしろさを持ったのは、田村くんが座長だったからでしょう。
ガムシャラに気張っているように見えた初演と比べ、今作は頼もしく、そしてニコニコととても楽しそうな姿が印象的でした。
ひのひかりがラブライスやフリーカに訴える熱いセリフは、田村くんの人柄があってこそだったと思います。
そして、そんなリーダーひのひかりを支えるラブライス。
舞台上で何か起こると、佐野真白くん演じるにこまるとひのひかりはよく視線を交わしていました。
前作あまり目立たない位置にいたあきたこまちがこれだけ躍動したのは、白石康介くんの不思議な、良い意味で不可解な魅力ゆえでしょう。個性的な米米キャストの中でも、一番度胸のある役者だと思います。
ひとめぼれ役の前川優希くんは、輪を飛び出した自由な姿が多かった前作と違い、今作は輪の中でラブライスを支えていました。
彼も勇気ある役者で、ぐだぐだのアドリブ中に彼の一言が場を納める場面を何度も目撃しました。「あはっ」と声が聞こえてきそうな笑顔も素敵です。
ささにしき役の星乃勇太くん。星乃さんという安定した存在があってこそ、ラブライスは自由に個性を発揮できたのではないかと思います。
ささにしきの役柄もあって、冷静に縁の下で支えている印象が強かったです。
そんな影に徹しようとする星乃さんの「おもしろさ」を引き出そうと、兄鴨はいろいろ星乃さんをいじってくれました。
魅力的な穀物はたくさんあります。
パンは種類豊富で美味しいし、フリーカは栄養豊富で低カロリーです。
でも、この作品の主人公はお米です。
馴染み深くて、でも他国から入ってきた穀物や食文化に少し押され気味なお米です。
可愛くて一生懸命で愛おしい、ラブライスのキャスト達はお米を演じるのにぴったりな役者でした。
今回「ハーベストショー強化合宿」という、毎回窒息するほど笑っていた地獄の即興劇コーナーはありませんでしたが、兄鴨は遊べそうな時間を見つけてはキャストの裏話をして、米米キャストの魅力を伝えてくれました。
なかなかひやりとすることもありましたが、ラブ米らしくておもしろかったです。そして何より、自分は汚れ役を演じながらも、若い米米キャストを、ラブ米を盛り上げようとする兄鴨の愛を感じました。
ラブ米の物語はシンプルで熱いです。
バラバラになってしまった仲間取り戻して最大の敵を倒す。最後は敵であったフリーカすらも仲間として迎え入れる。
それまでの過程はめちゃくちゃだし、感動的なはずの場面だってそこかしこにギャグが散りばめられて素直に感動なんてさせてもらえません。
ST☆RICEの「1人より2人がいい、3人より5人がいい!」というセリフ。
ラブライスが学んだ「雑穀MIND」「異なる価値観、異なる宗教観を認め合い、一緒に食を楽しむ心」
本当に大事なことはこうやってシンプルなことなのかもしれない、と思わせる力がラブ米にはあります。ほとんど力技ですが、米米キャストたちが声を合わせて叫び、一緒に歌う姿を見ると、ほだされて一緒に炊き上げられてしまうのです。
これもある意味、「洗農」鴨ね。