キイロイ

ホシノつくヒト

導いてくれたのはいつだって、目の前に「存在」してるアイドルだった

大人の「ごっこ遊び」を、出演者の皆様と共にお楽しみいただけますと幸いです。

 
この文章を見たとき、わたしは、なんて素敵なのだろうと思ったのです。大人のごっこ遊び。
わたしが見つけたアイドルは彼らの1つ次の世代でしたが、こんな素敵な遊びを見つけた自分を、少し誇らしく思ったのです。
 
 
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アイドルステージって、2次元とか2.5次元とか、そんなただ流行ってるだけの言葉で片つけられてしまうような陳腐な作品だったっけ?
わたしが今までその小さな箱の中で見てきた出来事は、別世界かもしれないけれど、紛れも無い"現実"だった。喜んだりはしゃいだり笑ったりしたし、泣いたり苦しかったりもした。
だって、目の前のアイドルは呼吸をするし汗もかく。
 
アンプラネットに選ばれた彼らについては残念ながらまだ描かれていないけれど、CHaCK-UPもプレゼント♦︎5も、中の男の子たちはみんな"欠点"を抱えて、世界から少しはみ出していた。
それぞれが持っている雰囲気、ちょっとした「ほころび」を、大袈裟に描いてみせる。
そして、アイドルステージの物語はそれを矯正したりしない。世界の方をぐるっと変えてしまうのだ。
ほころびだらけのアイドルを丸ごと受け入れる優しいアナザーワールドは、きっとそこから出来上がった。
新曲はそんなに上手に歌えない。
振りを間違えて一瞬険しい顔をみせる。
MCを重ねる度にアイドルのキャラは何故か「お友達」に寄っていって、最初は無かった設定を公式で追加せざるを得なくなる。
生だからこそ伝わる癖や雰囲気、隠しきれない緊張や圧倒的な成長。
わたしは彼らの「ほころび」ごと愛おしく思う。
 
 
明らかに流行りに乗ってやろうと分かるようなオタクっぽい絵の中に彼らを閉じ込めてしまうことは、愛おしい彼らを殺してしまうことだ。
どうしてそんなことになってしまったんだろう。
アイドルの「お友達」の中にも、2.5次元で活躍する役者が増えてきた。「お友達」がメジャータイトルに出て名前が売れることで、アイドルステージを取り扱うコンテンツが圧倒的に増えるというのは、前回のミュージカライブで実感した。
ドルステ人口が増えたらいいな、と言いながらも、この明らかに人を選ぶ遊びの楽しみ方を見つけた選民意識はいつもわたしの中にある。(みんなそうだと思ってるけど、わたしだけなのかなぁ)
 
アイドルステージの物語はいつまでも、「はみ出してしまったわたしたち」に優しい世界であって欲しい。