キイロイ

ホシノつくヒト

「おとぎ裁判」2018年9月27日-10月7日 俳優座劇場

裁判を傍聴したことがあります。

決められた書面を読むだけの裁判官、突っ立ってる被告人、反論のない弁護士。

静かな法廷の中で、役所の事務手続きのように人は裁かれていく。

この時、目の前の被告人がひとつの人生を背負った“現実の人間”ということも忘れて私は思いました。

 

なんて退屈な茶番劇!

 

 

おとぎの国で、住人たちは「伽」と呼ばれる自分の主君を愉しませる為に裁判を開きます。

 

伽は刺激を求めている。

 

おとぎの国、灯火の館キャッスル・トーチの主で裁判官のアケチも、幼馴染で犬猿の仲の弁護人と検察官ブルーとロブも、それぞれの伽の為に裁判を開き、歌い踊り、時に自分を追い詰めてそのヒリヒリした姿を晒してみせます。

伽が求める刺激的な「真実」の為に、彼らは裁判を演じるのです。

 

思えばおとぎ話の登場人物達も、時に随分と残酷な目に遭います。

お腹に石を詰められ水の中に沈められる狼、暖炉の炎に焼かれる魔女、両足首を切り落とされる少女…

刺激に慣れ、退屈に飽きた自分の姿が、うっすら伽に透けて見えました。

 

館の執事ジュードの呼びかけと、メイドのメロディの導きで、私達は“トーチ”としておとぎの国の住人となります。

 

爛れた蝋燭がふわりと香り、鮮やかな衣装が舞うノスタルジックな裁判所、薄暗い傍聴席にはトーチの焔。

おとぎの国は、その残酷さや抱えた秘密を隠すように、軽やかで美しい世界でした。

 

「裁きは華やかでなくては!」

 

 

ここからは、ネタバレも含めた感想となります。

 

おとぎ裁判は、「ストリップ学園」いちご役でお馴染みのロッキン・ヨーコさん演じるメロディが“現実の世界”の扉から現れて始まります。

メロディちゃんがレコードに針を落とすと、六本木の俳優座劇場は「おとぎの国」となるのです。

 

メロディちゃんは、自己否定キャラの上に成り立ったグラグラの自己肯定がおもしろいキャラクターでした。

無理矢理にでも自己肯定がないと生きていけない強さと弱さが、メロディちゃんには(そしていちごちゃんにも)ありました。

 

そして、彼女が司る「現実への扉」

六本木俳優座劇場の5列目と6列目の通路の先、下手側にある扉です。

おとぎの国の住人が“現実の世界”へ戻る時にも使われて、私達もそこから客席内に出入りします。

現実と虚構が混ざったその扉に心が踊りました。

 

 

最初の被告人はラプンツェル。訴えたのは通りすがりの王子です。

このラプンツェル、本人たちは1人だと言い張るのですが2人だし。本人たちは美女だと言い張るのですがおっさんだし。1人は髭だし。

出落ちとも思えるビジュアルインパクトですが、不思議と見れば見るほど味が出てきておもしろいです。

 

村井雄さんの演出には、初見はポカンとしてしまっても、回数を重ねる毎に堪らなく楽しくなってきてしまう魔法があります。トリックは謎ですが、1回しか観劇しないのは本当に勿体ないです。

 

話を戻します。

 

演劇において、どんなに髭面でもおっさんでも筋肉質でも、乙女なお姫様だと言われたらお姫様だと認識できるし、そう見るべきだと思っています。

まあ彼らは筋肉質なおっさん2人であったのですが(多分…?)、この後“14歳の少年”が麗しい乙女「赤ずきん」として登場する舞台で、ラプンツェルと見ていいのかおっさんと見ていいのか分からないこの混乱はおもしろいなと思いました。

 

 

「大人はみんな嘘つきさ」

 

赤ずきんを演じるのは、古賀瑠くんという14歳の男性の役者さんで、観客はそれを承知の上で、彼に“麗しい乙女”という役割を押し付けます。

 

裁判も終盤、次々と「真実」が明らかになる中、証言台に赤ずきんが現れました。音楽と共に始まった彼(女)のタップダンスは、今まで多くを語ることのなかった赤ずきんが心情を吐露するように激しくなります。

言葉より赤ずきんの心境を表した、心に迫る場面です。

 

そして、赤ずきんは、舞台の上で“14歳の少年”に戻ります。

 

その瞬間、おとぎの国に現実の穴がぽっかり空いたように感じました。

これだけ世界観を作り込み、想像力で創りあげた「おとぎの国」を敢えて壊すことで、「真実」は衝撃的に姿を現したのです。

 

 

通りすがりの王子、そしてドローを演じる小林健一さんは、「マグダラなマリア」のコバーケンぶりにお目にかかりました。

言葉ではうまく言い表せないのですが、動くだけでおもしろい人です。

おとぎの国のスパイスとなっていました。

 

 

ロブとブルーは、幼馴染でライバル同士の検察官と弁護人です。

芹沢尚哉くんの「ベイベェ」(胸にずっしりバージョン)は、胸がざわざわするような気持ち悪さがあります。

いけすかないけど憎めないです。好きです。

ブルーには「グレン」という女性人格があり、時々発作のように入れ替わります。

古畑恵介さんのグレンっぷり、綺麗でやり手のお姉様っぷりには化け物かな?と思いました。

 

 

東拓海くん演じるジュードは、私達トーチに語りかけてくれる優しい(?)執事さんなのですが、その笑顔の底に何か恐ろしさを感じます。

ジュードの裏の顔は後に判明するのですが、それだけではなくて、理解できない怖さがジュードには、というか、東くんにはありました。

「ジュードのJ!」で全力海老反りとか意味分かんないですから。怖っ。

 

普段のジュードが普通にアケチさんのことが大好きな様子も、裏ジュードの暴力性と全く相反していて、ジュードの本質ってどこにあるの?と不安に思いました。

願わくば、アケチさん大好きのジュードでいて欲しいです。

「たまには一緒に寝るか?」とアケチさんに言われてソワソワキャッキャってするの、はちゃめちゃ可愛いから。

 

 

そんなジュードに死ぬほど愛されて眠れない(?)主人公アケチを、古谷大和さんが演じます。

登場シーンの大半が寝不足で不機嫌なアケチさんですが、ポップな曲がかかるとキラキラ笑顔を振りまく姿がスーパーキュートでした。

特に「洗濯ジョイ」の曲が、アケチさんは後方で踊っているにも関わらず、客席までキラキラが飛んできそうなほど可愛いです。

 

アケチの見せ場といえば、2幕「真実」を明らかにしていく場面でしょう。

心優しい狼に、冷酷な赤ずきんに、真実をただ淡々と述べる語り手に、そして、炎に焼かれるアケチ自身に。その表情は変幻自在に入れ替わります。

朗読劇の時も思うのですが、大和さんの小細工のない素直な語りはとても魅力的です。

 

 

アケチ、ブルー、ロブは「キラー」と呼ばれ、それぞれの「伽」の退屈を殺す役割があります。

キラーにとって伽は絶対君主。逆らうことは許されません。

 

ロブの伽相手は、ブルーの別人格グレンでした。

グレンがブルーに戻った後のロブのホッとしたような表情や、急にたどたどしくなるナルシストな発言に、ロブの素直さや優しさが見えます。

 

ジュードはアケチの執事として登場しますが、1幕の終わりでアケチの「伽相手」であることが判明します。

主従関係が入れ替わった途端、子供のように必死さを見せるアケチと、穏やかな表情から一変して苛立ったようにアケチを追い詰めるジュード。

アケチが縋るようにジュードを見詰める姿が堪らないです。

2幕では彼らが目配せをするだけで、2人の間の張り詰めた空気を感じます。

 

それが秘密であればあるほど、伽とキラーの関係性は、耽美でエロティックなものになっていました。

 

 

想像し、壊し、導かれ、突き放され、惹きつけられ、おとぎの世界は創り上げられていました。

この世界には、まだまだ暴かれていない「真実」がたくさんありそうです。

秘密を抱えたモノは美しいけれど、暴かれる瞬間も激しく美しく輝くでしょう。

 

グータラでやる気ゼロの裁判官」と言われながら、アケチの瞳は常に“なにか”を見詰めて黒く光ります。

それは”現実の世界“なのか”おとぎの世界“なのか、他者なのか自分自身なのか、アケチの姿はまだ、蝋燭の煙の向こうに隠されたままです。

彼は、光の方を見ているのでしょうか?