「超歌手」大森靖子
読んだだけで心が軽くなるような言葉は、結局耳障りが良いだけだ。
私はこの本を発売日でも給料日でもない日に買った。
なんでも無い日だった。
でも、何か無いと、私を新しく支えてくれる何かが無いと、もう家にたどり着けないと思って、仕事の帰り道に本屋へ駆け込んで購入した。
本当は新しく発売したアルバムを買うつもりだったけど、帰り道に無いCDショップへわざわざ行く程の気力も無かった。
彼女の言葉は私の薬だ。
無くて平気なときもある。
推しと会ってから数日は、現実はいつも通りクソだけど、思い出はまだ甘いし、スピッツとか聞きながら幸せに浸れる。
最高。
今までは本命の現場前とか現場中の情緒不安に彼女の言葉を使っていたけれど、最近それどころじゃない程人生がクソでクソで、頑張って情緒安定させてやっと落ち着いた2秒後に平気で最低なこととか起こりまくってて、そんなことが一ヶ月に何度も何度もあって、ようやく折り合いつけて乗り越えてもぜんぜん無意味で、なんでちゃんと歩けてるのか分からないような状態でこの本を買って読んだ。
倒れないで、って支えてくれるというより、もういっそ倒れちゃおーよアハハー!!!!!!って笑ってくれる本だった。
私は呪いと闘おうとしていたみたいだ。
仕事だから好きな服も好きな髪もできないとか
好きでもない人との好きでもない飲み会に出ないといけないとか
ハタチ超えてキャラもの持つのはイタいとか
若手俳優のリア恋に向けられる偏見とか蔑みとか
男とか女とか年齢とか容姿とか
そういうのぜんぶ呪いだった。
私、良い子だったし変に器用だったりするから、うまく闘えなくて折り合いつけたり「まあこんなもんかな」とか思って生きてきたけれど、違和感は喉につっかえてどんどん硬く大きくなっていた。
推しは私の気道をこじ開けてくれるからそれで呼吸して、まだ大丈夫って思って、
でも、逆に私の気道に異物を詰め込んでくる奴もいるし、それどころか自ら詰め込んでしまうときもある。
靖子ちゃんはまず、私の喉に詰め込まれた異物を、こんなに取るに足らないものだよーって吐かせてくれた。
そして、彼女の闘い方を示してくれた。
靖子ちゃんの言葉はめちゃくちゃだけど重かった。
生きている人の生きたままのどろどろの言葉。
砂とか宝石とか汗とかラメとか血液とかいっぱい混じった泥水。
泥水を浴びながら、私は靖子ちゃんじゃないから、彼女の闘い方を模倣しても意味がないと思った。
闘わなければ楽だけれど、そうしたら私は本当に窒息死してしまうだろう。
私は私の闘い方を探して作って選んでいかなければいけない。
だから私の体は重い。心も重い。クソ重い。
でもたぶん、それが生きているってことだ。